2021年1月新橋演舞場

正月の「海老蔵歌舞伎」

 正月恒例となった海老蔵率いる市川一門の、題して「海老蔵歌舞伎」である。今年はまず初春らしい長唄の名曲「娘七種」で幕が開く。正月七草の、春の野に若菜を摘むという民俗の風景を、初春の曽我狂言に託した踊りで、古い歌舞伎の味を残した曲である。能の「二人静」にもある静御前が若菜を摘むのに、曽我の五郎と十郎が絡む三人の踊り。シンプルで正月らしい楽しさである。しかし今では若菜を摘むという行事の記憶も遠く、その分演者も観客も何をやっているのか分からず、有名な「恋の仮名文」の件も舞台に生きていない。
 右団次の曽我五郎は、さすがに三人の中では一日の長があるが、荒事らしさよりも、もう一つ柔らかな踊りとしての丸味がほしい。女形の壱太郎が珍しく立役の曽我の十郎。こちらは女形であるため柔らか味は十分だが、女形が立役になるとどうしても小粒になりやすいのは是非もないか。静御前は児太郎。上品なのはいいが、例によって愛嬌が薄い。春の幕開き、もう一つ愛嬌がほしい。長唄は芳村金四郎、杵屋弥宏次ほか。
 次にこの公演の目玉である海老蔵の「毛抜」。だれでもやる二代目左団次が復活した型とは違って、十一代目団十郎が復活した市川宗家独自の粂寺弾正である。海老蔵はすでに体験済みであり、その豪快さ、その爽やかさ、さぞよかろうと思ったが、花道七三ですでに不必要な程間伸びするせりふ廻し、錦の前の髪が逆立つのを見ての驚きの、口の開け方の過剰さ。いずれも闊達さを強調してのことだろうが、間が抜ける。七つの見得もキッパリせず、ようやく花道の引込みで本領が出た。コロナ流行によっておよそ一年ぶりにやっと見ることの出来た海老蔵、是非とも洗い直してほしいと願うのみ。
 ここでいいのは右団次の八剣玄蕃。立敵の大きさ、べりべりとしたせりふ廻しの手強さ、芝居運びの手早さ、憎み十分。この一幕中第一の出来である。対する男女蔵の秦民部は、立役に徹し切れず、ハラに一物ある様に見えるのは、性根がきまっていないからである。ここでは前の「娘七種」とは反対に、壱太郎が立役から女形に戻っての腰元巻絹。立女形らしい幅があっていいが、幕開き数馬と秀太郎の果し合いの間に入るところで体が余っているのが困る。壱太郎とは逆に女形から立役に変わったのは児太郎の秀太郎。こちらは無難である。市蔵の小原の万兵衛は、憎み、可笑し味、手に入ったもので右団次に次ぐ出来。続いて九団次の八剣数馬が赤ッ面の荒若衆を手強くやって好演。斎入の小野春道、広松の春風、市川福太郎の錦の前。
 最後が新年の「お年玉」として舞踊二題。上の巻がぼたんの「藤娘」。下の巻が勧玄の牛若丸、海老蔵の弁慶で「橋弁慶」。ぼたんも勧玄も一生懸命でその可愛らしさに観客大喜び。海老蔵の弁慶は、いつもと違って白の大口袴に金地織物の着付け、顔も砥の粉で堂々たる弁慶。幕外で一寸飛六法まで見せる豪快さ。長唄は上下ともに日吉小間蔵、杵屋勝松ほか。

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『渡辺保の歌舞伎劇評』
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