2021年11月歌舞伎座 第二部

新スター誕生

 早いもので三津五郎が逝ってから、今年は七回忌だという。その七回忌追善に遺子巳之助を盛り立てて菊五郎はじめ劇団のメンバーが顔を揃えての「対面」が、この狂言としては久しぶりに新鮮かつ緊張感を持った好舞台になった。私はしばしば亡き三津五郎を思って胸が熱くなったが、何よりも嬉しかったのは、五郎をやる巳之助の成績目覚ましいこと。むろん巳之助にはすでに「吃又」や「毛抜」の実績があって、今更「新スター誕生」でもあるまいが、敢えてそういうのは、故人にこの五郎を見せたらばどんなに喜ぶだろうと思ったからである。
 巳之助の五郎は、まず面長で、剥き身の隈取がしっくりはまって初役とは思えぬ円熟ぶりである。それに姿全体に丸味があるのがよく、踊りの名手だけあってカドカドのきまりの形がいい。真っ当にやっていて嫌味なく、余計な夾雑分もなくスッキリしている。まだ若く、しかも初役なのに、既にしてその姿に味わいがある。せりふに多少破調もあるが、まずはいい五郎、他の人にはない趣きがいい。ただ一点問題なのは、きまりからきまりへの間の動きが、フッと日常の「素」になることである。きまりからきまりへの動きには、きまりと同じ集中度を持って繋がらなければならない。むろんきまりの陽に対して、ツナギは陰だろうが、それでもそこに「素」が入っては困る。陰陽は別にしても集中度があれば、個々のきまりもさることながら、そこに芸の流れが出来てさらに味が増すだろう。
 この五郎を芯にして一座のみんなが気を揃えて引き立てようとしている気配が好もしい。まず菊五郎の工藤。すでに押しも押されもせぬ貫目があり、色気を含んだ中に一点の凄味が眉間に閃いているのがいい。そもそも工藤は座頭の役であると同時に敵役でなければならない。その兼ね合いに難しさもあり身上もある。
 今度は幕が開くと一面の浅黄幕、それを振り落とすと高座の工藤をはじめとして全員板付きという演出。それは菊五郎の体の都合でもあろうが、「思い出だせばおおそれよ」の肥前節のカカリで二重の後ろの襖を開くと富士山と梅の背景を見せるのは、この最初の板付きに対して変化を付けようということだろうが、もともとあの富士山は上方の演出ではないのだろうか。
 時蔵の十郎は、柔らかさ、色気ともに本役であるが、この人は立役になるととかく声が甲高くなって、せっかくのしっとりした味わいを失う。それを除けば上方の十郎と違ってキリッとした江戸和事の十郎であるのがいい。
 さてこの幕で意外の収穫だったのは松緑初役という朝比奈の大出来。七代目三津五郎の朝比奈は、五郎十郎を呼び出すために花道へ行く前、俗にいう「髭剃りの合い方」に乗って左右の襟を両手で扱く動きが独特だったが、その味わいが多少味は薄くとも松緑に正しく伝わったのには驚いた。とかく訳が分からずぞんざいに扱われている動きの意味が鮮明なのである。これが「対面」の味である。ただ相変わらずせりふの語尾がキチッと止まらぬのが残念。それさえなければいい朝比奈。巳之助の五郎と共に今度の「対面」の収穫である。
 雀右衛門の大磯の虎は、さすがに貫目十分で、舞台を締めている。梅枝の化粧坂の少将は莟の花の新鮮さ、虎といい対照である。権十郎の近江小藤太、彦三郎の八幡三郎、萬太郎の秦野四郎、團蔵の梶原景時、坂東亀蔵の景高、最後に左團次が鬼王で出て、菊之助、楽善、萬次郎を除いた劇団の顔が揃う。後見は秀調。
 「対面」の後に仁左衛門と千之助の舞踊「連獅子」。前半孫の手を取って導く祖父の姿が微笑ましい。後半元気に毛を振り続けるのはいいが、体を大事にして欲しい。今や歌舞伎になくてはならぬ大看板だからである。千之助の成長目覚ましく、立派になった。又五郎と門之助の間狂言。長唄は鳥羽屋里長、杵屋栄八郎ほか。

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『渡辺保の歌舞伎劇評』