2021年5月歌舞伎座 第三部

菊之助の「鏡獅子」

 新型コロナ流行のための非常事態宣言が延長され、それまで閉場していた歌舞伎座が五月十二日に開演した。その三日目の十四日歌舞伎座の三部を通して見た。そこで驚いたのは、第三部の菊之助の「鏡獅子」である。まずそれから書こう。菊之助の「鏡獅子」は菊之助襲名以来何度も見たが、それが今度は一皮も二皮も剥けて見違えるほどの出来栄え。日頃の研究熱心が実っての大収穫である。
 私が感心した点は三つある。
 第一に形がいい。「鏡獅子」は誰でも踊るが他の踊りと違ってその形が難しい。たとえば前半には、両手を横に段違いに伸ばして上手を見る振りがいくつかある。上半身は上手の上を見ているのだが、下半身は下手を向いて腰が入っていなければならない。この形が簡単な様で出来ない。絶妙なバランスが取れない。さすがに六代目菊五郎は実に巧く、その見事な形の写真がいくつも残っている。六代目の様に巧く身体が安定すると、不思議なことに世界全体がその人の掌中に入る。珠になる。しかしそう巧くいく人はほとんどいない。梅幸でも歌右衛門でも勘三郎でもあまりきれいではなかった。ところが今度の菊之助はそれらの名優に比較してもきれいである。まして菊之助自身もこれまではこれ程きれいではなかった。
 むろん踊りは形だけではない。形から形へ移るところに踊りの面白さがある。今度の菊之助は十分にその間がたっぷりとした面白さ、充実している。その動きが最短で次の形へ移るから、たっぷりした感じが強いのである。
 第二に「中溜め」が巧い。よく生きている。「中溜め」とは、腰を落とすその途中で止めてグッと重心を溜めることをいう。「中溜め」の「中」は途中の「中」であると同時に宇宙の「宙」だろう。この九代目団十郎自身の振付になるという踊りには、自分の身体を極限まで責めて責めて少女を描き出そうとしている(拙著「九代目団十郎」)。そこで「中溜め」がその踊りの中核に使われている。これがうまく出来なければ振り全体が生きない。ところがこれが身体的負担が大きい。六代目でさえ本当に踊ると舞台にヘタヘタと座ってしまう程だという。それが今度の菊之助のよさは奇蹟的にこの「中溜め」がうまく出来ている。それが形のよさの一つの支えになっていること、いうまでもない。
 第三に振りが生きているために、リアルな描写が巧い。たとえば牡丹の花がその掌の内に零れる様に咲く。露が垂れる美しさ。もっともこういう巧さは具体的な描写に限られている。抽象的な描写はあまり巧くない。たとえば「実に誤って半日の客たりしも」は、山中で半日仙人と遊んだ人が、里へ帰って見たらば五百年たっていたという振りで、ここは一つ廻っただけで「五百年」を表現しなければならない。むろん一つ廻った位で「五百年」が表現出来るものではない。しかし長い時間が経って世界が一変しなければならない。ここは十八代目勘三郎が奇蹟的に巧かったが、菊之助では十分に理解できない。つまりその描写が抽象にまで及んでいないのである。
 以上三点。形のよさ、中溜め、描写と三拍子揃っている。なかでも私が感動したのは、一つは「恨みかこつも」の手踊り、もう一つは「下はないりの白波の」である。前者はこの曲の性根ともいうべきもっとも大切な、この踊りの基調を決めるところであるが、菊之助はここが巧い。後者は菊之助の祖父梅幸得意のところ。その品位辺りを払うばかりであった。菊之助の巧さは梅幸よりもリアルである。まず舞台下手で谷底を覗き込む。二度似た振りがあって、その二度ともにさながら水飛沫を浴びて立つ女の美しさ。それから手に持った扇で円を描きながら上を見、下を見るのを繰り返しながら上手へ進んで行く。一身にして山頂の上を仰ぎ見てその高さを示し、一転して谷底をのぞき見てその深さを示す。山頂の高さも谷底の深さを描くと同時にそこに立つ女の風になびく髪を見せる。その姿が鮮やかを極めている。
 引込みの自分を超える力に惹かれて行くところも巧い。
 この前半の上出来に比べて後ジテの獅子はそれほどではない。九代目は前半の弥生の振りがきつく、その上の獅子だから苦しいといったそうであるが、菊之助もこれだけ踊ればそうなのかも知れない。ただ振る毛は寝てはいるがきれいな円を虚空に描いた。
 胡蝶は亀三郎、丑之助。楽善の家老、彦三郎の用人、萬次郎の老女、米吉の局という豪華版。長唄は勝四郎、巳太郎ほか。
 第三部はこの前に「八陣」の御座船。佐藤正清は、吉右衛門病気休演で歌六の代役。吉右衛門が「松貫四」の名前で台本に手を入れているが、今日の観客にはこれだけでは物語が分かり難いだろう。雀右衛門の雛衣は琴を自分で弾き歌う。種之助の轟軍次、吉之丞の鞠川玄蕃は共に敵役の気配が薄い。

今月の芝居に戻る

Copyright 2021 Tamotsu Watanabe All rights reserved.


『渡辺保の歌舞伎劇評』