松緑初役の長兵衛
松緑初役の左官の長兵衛。「人情噺文七元結」である。
ご承知の通り、この長兵衛の初演は五代目菊五郎である。それに六代目菊五郎が手を加え、その六代目の遺産を、女婿十七代目勘三郎と愛弟子二代目松緑が相続した。勘三郎と松緑。二人の芸質の違いもあって、同じ台本、同じ演出でありながら、ニュアンスの全く違う二人の長兵衛が出来上がった。その違いを象徴しているのは、本所大川端で娘お久の身代金五十両を、身投げしようとしていた文七にやってしまう。その動機の違いである。勘三郎は、文七が自分と同じ天涯孤独の孤児育ちだという同情から金をやる。文七の身の上話を聞いて自分の辛い生い立ちに思い至った長兵衛の目の先には、大川の川向こうの灯入りの遠見が見える。その灯の灯った家々には、多分幸せな家族の団欒があるだろう。俺も文七もそういう幸せを味わったことがない。だから助てやりたい。それが金をやる動機である。
一方松緑はそうではない。江戸っ子だからである。しかし江戸っ子は何百万人もいる。その中で長兵衛だけがこれだけの犠牲を払うということを、その気質だけで説明するのは難しいだろう。ましてやその気質を表現するのはなお難しい。勘三郎のやり方は誰にも分るし、誰にも共感されやすい。しかし松緑のやり方は誰でも出来るというものではない。
二代目松緑の孫の現松緑は、その難しい方の、すなわち祖父の、明るくって、能天気な、さっぱりした江戸っ子にポイントを置く方に挑戦して、七分通り成功した。決して完全とはいわない。むろん芸としてはこれからだし、未完成でもある。しかし敢えて難しい方に立ってここまで来たのは、成功といわなければならない。勘三郎の時の川向こうの灯は消えているのである。
むろん軽さ、世話の味、人間描写、どれをとってもまだ不十分である。しかしその江戸っ子の能天気なところが少しでも出たのだから偉い。その他にも私は二つのことに感心した。一つは芝居が時代になるところがきっちりしていること。とかく場当たりを狙って崩れやすいこの芝居の輪郭を崩さずにやったのは、不器用、融通が利かないという人がいるにしても、私は認めたい。崩すのはいつでもできる。崩さないのは一朝一夕には出来ない。
もう一つは真面目にやって意外におかしいことである。たとえば大詰、文七に出会った長兵衛が、「お前に五十両やったな」と念を押して女房お兼を振り返って「この人にやったんだィ」。勘三郎なら爆笑、松緑ならばその気質満開。どっちにしてもイキ一つのところ。そこが現松緑もそこそこ出来たのは大手柄である。
女房お兼は扇雀。こっちはすでに何度目かの役で手心があるから達者であるが、ここまで出来たらばあゝギヤァギヤァいうのに本当に怒鳴り声を出さずに、そう聞こえる工夫が欲しい。本当に怒鳴っては芸ではない。
他にいいものは、魁春の吉原角海老の女将、團蔵の和泉屋清兵衛。
魁春の女将は、今日だれが長兵衛をやっても勤まる大舞台。この人で舞台が締まっている。團蔵また同じ。立派な大店の旦那である。
亀蔵の文七は、少し硬いところもあるが、まじめで一本気な青年というところはよく、かつ松緑ともよくイキが合っている。新悟のお久は、地味にしてしっかりしている。鳶頭は種之助、大家は松太郎。問題は荒五郎の藤助である。この役はかって菊五郎劇団の名脇役たちが勤めた難しい役。さすがに荒五郎の手に余った。
この前に種之助の解説「歌舞伎のみかた」。
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『渡辺保の歌舞伎劇評』