2021年6月歌舞伎座 第一部

「御摂勧進帳」と「夕顔棚」

 六月の第一部は、芝翫、雀右衛門、鴈治郎の「御摂勧進帳」と菊五郎、左團次の舞踊「夕顔棚」の再演。
 芝翫の「御摂勧進帳」も度々であるが、手慣れて来るに従ってこの桜田治助一代の名作の感覚が段々薄れて来る様な気がする。その上になにかというと十八番の「勧進帳」に似せようとするので、どこかで聞いたせりふや音楽ばかりが耳に付く、イヤ鼻に付く。第一幕開きの黒御簾が「寄せの合い方」を弾くのからして居心地が悪い。「寄せの合い方」はもとセリの合い方でいつ頃出来たのか知らないが、十八番の長唄に取り入れられたのは、「御摂」初演の六十七年後である。それがここで使われると、なんとなく十八番の匂いがして困る。むろん観客に耳慣れたものをということで使っているのだろうが、それが却って「御摂」の原曲の新鮮味を失わせる。芝翫のやっている弁慶の役も、治助の台本を読むと、四代目団十郎(当時海老蔵)の魅力目の当たり。それを思えば、芝翫も一度原点に返ってリフレッシュしたらどうかと思う。ルネッサンスである。
 鴈治郎の富樫もそうである。ともすれば十五代目羽左衛門風に成り勝ちで、訳知りの雰囲気は出ても、この役の闊達さが出ない。雀右衛門の義経も先頃の十八番の義経よりはいいが、それにしても十八番に寄ろう寄ろうとしている様に見えるのは、見る方の僻目か。亀鶴の斎藤次は口跡がよく、言語明晰だが、龍神巻きの体付きが不安定なのと、敵役らしい憎たらしさが足りない。歌昇、男寅、歌之助、桂三の四天王の中では歌昇がしっかりしていて、その芸の寸法からは将来弁慶はこの人のものだろうと思わせる。松江の鈍藤太、吉之丞の運藤太はもっと三枚目敵の滑稽さが欲しく、この二人を含めて芝翫の芋洗いの演出は、もう一湯がきするべきだろう。
 次は舞踊「夕顔棚」は、菊五郎の婆、左團次の爺が、初演の初代猿翁の婆が乳房を見せるエログロと違って、乳房を見せてもアッサリと品がいい。舞踊としては大した手が付いているわけではないが、左團次と二人品格を保って後味がいい。里の男は巳之助、女は米吉。菊五郎版では初演と違って大勢の里の男女が出て、踊りながら花道を入って行くが、これだけ並んでいる中で巳之助の手振りの面白さが抜群。早く歌昇や巳之助の精一杯活躍する機会が来ればいいと思った。初演以来の長坂元弘の美術がいまだに印象的。清元は延寿太夫、菊輔。

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『渡辺保の歌舞伎劇評』