松緑の富森助右衛門
二月第一部は、真山青果の「元禄忠臣蔵」御浜御殿綱豊卿、その後に長唄の舞踊「石橋」。
「御浜御殿」は、多少のカットはあるが、ほぼいつも通りの松の茶屋、御座の間、入側お廊下、もとの御座の間、能舞台の裏の五場である。
綱豊は梅玉。梅玉襲名の時、東京は「金閣寺」の此下藤吉と「伊勢音頭」の福岡貢だったが、名古屋御園座ではこの綱豊で、それ以来の当たり芸である。甲府宰相と呼ばれた三十五万石の太守。次期将軍と目され、事実五代将軍綱吉没後、六代家宣になった人。いろいろな人が勤めた役だが、梅玉のよさは、その品位、そして綱吉に憎まれまいとする知性、そのために遊びと学問に身をやつしている柔軟性と優しさである。今度もそのよさが辺りを払っている。
対する松緑初役の富森助右衛門がいい。
何よりもこの人のせりふの癖がどこにも出ず、真山青果独特のせりふを正確、明瞭にいい廻しているのがいいが、芝居そのものもよく研究されていて面白い。まず最初のお廊下。小谷甚内に案内されての花道の出。ほのかに可笑し味を描いて、素直に柔らかく観客の気を取っているのがいい。この柔軟性が富森助右衛門の本性、それを隠そうとする気持ち、その表裏を通しての人間性を描いて印象的である。
綱豊との対決に、段々その本性現れ、それに従って助右衛門自身の本来の性格と同時に浅野家断絶と共に浪人した暗い翳、拗ねた狷介さの荒んだところが出て来るのが面白い。芝居が進むにつれてだんだん必死になって来る具合、演技の計算が行き届いているのには正直驚きもし、胸が熱くなった。
ただ一点、幕切れ近く、綱豊に突っ込まれて体勢を崩してからがいささか乱調で、描線が弱くなる。体制が崩れる、慌てながら踏み止まる、止めて止まらぬと知りながらの窮地がもっと自然に出れば、芝居が盛り上がるのに、これのみ惜しい。奥庭になってもそれが尾を引いて綱豊に槍で突っかかる殺気が、戸惑い勝ちである。
魁春の祐筆江島が、亡き歌右衛門の傑作に生き写し。歌右衛門は確か紫紺の無地の着付け、打掛になったと思うが、この人今回は白地っぽく総模様で、それも一案である。
莟玉のお喜世の方は、序幕の松の茶屋はともかくも、御座の間での助右衛門、綱豊との三人になってからは、ジッと二人の芝居を受けている間が未だ芝居が足りない。したがって突然助右衛門を刺し殺そうとするのが唐突に見える。
東蔵の新井勘解由は、舞台を締めているがニンのせいで学者らしくは見えるが、将軍の政治の裏表を熟知した政治顧問とは見えない。
松之助の小谷甚内は、自然に内輪にして役どころを心得た出来。軽いのがいい。梅蔵の津久井九太夫、歌女之丞の浦尾、京蔵の野村。
この後が「石橋」。
「御浜御殿」の大詰、綱豊が舞う能が「望月」で、ここに「獅子」が入っている。その後に「石橋」というのは洒落過ぎている。
さてその「石橋」は、白頭が錦之助、赤頭が鷹之資と左近の二人。錦之助の余裕と貫目。鷹之資の踊りの巧さ、左近の若さ。三者三様で、その対照が面白い。長唄は鳥羽屋三右衛門、柏要二郎ほか。背景に石橋を描いた中国風の景色が濃厚過ぎて役者を食っている。もっとアッサリ行きたい。
『渡辺保の歌舞伎劇評』