又五郎、孝太郎の「毛谷村」
六月の歌舞伎鑑賞教室は、杉坂墓所と毛谷村の二幕である。
杉坂墓所は舞台全体が二重舞台で、杉木立の中に真ん中やや上手へ六助の母の小屋掛かりの板囲いの墓所を見せ、人間の出入りは上手に登り坂と下り坂、下手は坂道と、芝居はすべてこれで済む。こういう好みの道具もある型ではあるが、ちょっと手狭で窮屈な感じがするのも事実。
樵たち三人の埃鎮めが終わると、上手登り坂から、手桶を持った又五郎の六助が出る。又五郎はすでにこの役を体験済みであり、その分安定してソツがないが、それだけに味が薄い。微塵弾正が斧右衛門の母を使っての騙りがあり、続いて弥三松を連れた佐五平が悪者に襲われる立ち廻り、その中へ六助が戻って来ての佐五平の落ち入り。弥三松を連れて六助が立ち去る幕切れまで。いつもの通り。又五郎が味を見せるのは、幕切れの弥三松を連れて立ちながら片手拝みで佐五平の死骸に手を合わせるところ。六助の人のよさ、人情が出るのがいい。ただここは本文にもそう書いてあるから仕方がないが、佐五平の死骸をほおり出して行く様で不人情に見える。なんとか一工夫ないものだろうか。
歌昇の微塵弾正は、ここは底を割らずにいかにも善人らしく運んで、しかも人物の輪郭がクッキリしていい。吉三郎の佐五平、嶋之亟の斧右衛門の母、小川綜真の弥三松。
毛谷村の六助住家になる。
幕開きの六助と弾正の試合は一通り。歌昇の微塵弾正はあえて憎たらしさを強調せずに、引込みも左手の手傷が痛む思い入れがあって、気を替えて改めて左右の袖口を返して形を作ってのきまり、立派でいい弾正である。
又五郎の六助はこの件はさしたることもなく、お幸の出になる。吉弥のお幸は、干してある弥三松の四つ身への思い入れがあるのもよく、すべてここは手強くていい。対する又五郎の六助は、弾正を見送って花道七三まで行っての長ぜりふ、最後の「母御に孝行忘れさしゃんすな」が情があっていい。お幸との詰め開きまで、この六助ではこの件りが一番の出来。なかでもお幸に金包みを手裏剣代わりに打たれての「ハテ、お見事なるお手の内」の、グッと突っ込むせりふ廻しがいい。
それから茶を入れて障子屋体のお幸に持って生き、その戻りに煙草盆を持って下手の柱に寄り掛かって鶯の声を聴くところは、もう一息余韻が欲しい。
弥三松の出になる。歌昇の長男小川綜真は丁度年頃もよく芝居もしっかりしている。その弥三松を抱いての六助の芝居、屏風の陰に弥三松と添い寝をするまでは、手抜かりはないが一通り。
お園の出になる。孝太郎のお園は、花道七三で右手に尺八を振り上げ、左手を横に伸ばしたきまりの形がスッキリとキレイで大きい。それからの六助とのやり取り、二人が二重と平舞台での上下の見得から、六助が太鼓を叩いての物語まで。間違いはないが、うま味に乏しい。
お園は六助と知れての付け回しに色気があってよく、水浅黄の手甲を口に当てての竹「うっかり眺め」がいいが、肝心の重い筈の臼を軽々と持ち上げると見せる工夫が足りない。臼が軽くしか見えないからである。この件が終わって黒子の後見が軽く扱うのも不注意。
又五郎がいいのは、お園が吉岡一味斎の娘と知れて、立身で「これはしたり」と右膝を叩いて後ろへ手を廻してきまる形が面白かった。片足立ちなのに巧く形がついて不思議な光彩を放っている。
お園のクドキになる。孝太郎五度目というお園はさすがに手慣れて大きい。しかしこのクドキはいささか動きがオーバーで、そのために幾分色気を失っている。カラミを使う型のために、自然と動きが大きくなるのはいいが、小さく動いて大きく見せる工夫も欲しい。
お幸二度目の出になる。「師匠を慕う誠こそ」は、かつての多賀之丞の時代にキッパリしたせりふの、立て詞風なのが未だに耳に残っているが、吉弥に限らず今では誰もが世話っぽくなって「立って」いない。この一句で舞台の雰囲気がガラッと変わらなければならないのに。
六助とお園の三々九度のところへ斧右衛門たちの出になる。斧右衛門は松江。三枚目がニンになくて気の毒。本当はここでもう一度舞台の雰囲気が変わらなければならないがやむを得ないか。
弾正に騙されたことを知った六助が庭先の石を踏み込む。以前は石の先端が立ったが、今度は石全体が沈む。理屈からいえばそうなるかも知れないが、地味でなんだか分からずお芝居らしくない。現に満員の高校生は全く無反応だった。そうなると踏み込んだ六助が見伊達がなくなる。
物着になってまた舞台が一転するのがそうならないために、テンポが変らず滅入っている。幕切れに向かってテンポが速くパッと派手になるべきだろう。六助の「義の一字」「眼力違わぬ若者なり」の折角の見得も埋没している。
以上、この「毛谷村」の前に玉太郎の解説「歌舞伎のみかた」が付く。
『渡辺保の歌舞伎劇評』