梅枝の更科姫
七月の歌舞伎鑑賞教室は、松緑、梅枝の舞踊「紅葉狩」である。
梅枝の更科姫がいい。高麗蔵の局田毎に手を引かれて上手揚幕から出たところ、赤姫の拵えにしっくりと合っていい更科姫である。前半の「更科の三つの景色の」からの舞振りも、品があって、鷹揚で、悠揚迫らず大間にゆったりと出来て堪能させた。二枚扇はじめ扇の扱いも稽古を積んだらしく、あざやかを極める。梅枝近来のヒットである。
しかしこの人のこのニンのよさ、面長な古風な美しさを見るにつけても、更科姫よりも早く三姫や五娘を見たいと思った。更科姫は確かに前半赤姫ではあるが、初演の九代目団十郎以来、立役の勤める女形であって、梅枝の様な真女形の役ではないからである。維茂を見込んで侍女たちを抑えての「こおーれェ」という辺りから鬼の本性を現すところ、全て真女形のものではない。近年は大勢の真女形も勤めているが、それも間違いである。せっかく梅枝の様な可能性のあるいい女形が、もっと他に勤めなければならない役があるだろう。こういうところを見誤ると大切な人材を潰して歌舞伎の将来を暗黒にする。現に鬼女になってからの梅枝は、凄味が薄く問題にならない。問題にならないことこそ、この人が真女形として優れている証拠である。
松緑の維茂は、梅枝に対して当然一日の長があり。舞台を締めてもいるが、ただ一点爽やかさが足りない。「アラ浅ましや我ながら」などたとえ美声でなくとも、工夫一つで爽やかに聞かせることが出来るのに残念。
脇では高麗蔵の局田毎が持ち役でもあり、一番の出来。荒五郎の腰元岩橋は可笑し味不足、それに化粧も昔風にした方が現代では却っていいのではないだろうか。京蔵以下の侍女。従者は萬太郎と左近。山神は亀蔵である。
常磐津は和英太夫、菊寿郎ほか。長唄は伊四之介、巳太郎ほか。竹本は泉太夫,燕太郎ほか。
こうして三方掛け合いになって見ると、常磐津が語り物としての、浄瑠璃としての野性的なタッチの太さ、音楽としての独自の特色を失いつつあるのがよく分かる。なんとかならないものだろうか。
『渡辺保の歌舞伎劇評』