富十郎の面影を
今年は富十郎十三回忌、それを記念しての第八回の翔之會。鷹之資の「矢の根」、次に葛西聖司の解説で故人のインタビューのビデオ「天王寺屋語り」、三十分の幕間を挟んで鷹之資、愛子兄妹の、故人の当たり芸の舞踊「二人椀久」。
長「今は心も乱れ候」で鷹之資の椀久が、クイッと本舞台を見込んで花道をスタスタと出て来たところ、そのイキが富十郎生き写しなのに、思わず胸が熱くなった。ただ似ているというだけでなく、富十郎のイキの鋭さ、その体の動きの切れ味、変わり身の鮮やかさをよく学んでいる。
それを見ながら、あらためてこの曲の持っている意味を考えさせられた。ここまで鷹之資が学んでみると、この初代尾上菊之丞振付の踊りがどういうものであったかが鮮明になったからである。その特徴は早いテンポ、機敏な体の動き、そしてその手振りが実はほとんど無意味な、単純な動きで出来ていること、それを思わずにはいられなかった。
御承知の通り、日本の舞踊は全て詞章についての当て振りである。月といえば空を指さし、酒といえば盃の形に指を丸めて口へ持って行く。享保時代の名優佐渡島長五郎が指摘した通り「振りは文句にあり」(「しょさの秘伝」)。「また文句なく、節にて伸ばす時は、拍子に乗る」。ところが菊之丞振付の「二人椀久」には文句に付く当て振りが一切ない。ほとんど無意味な手振りばかりである。動きだけで見せる。だからアズマ歌舞伎で海外でも外国人に受けたのだろう。
私が、富十郎と雀右衛門が昭和三十一年九月明治座ではじめて踊ったのを見た時、陶酔したのは、体の動きの速さにあった。しかし今思えばそれだけではなかったのである。二人の踊りは単によく動いただけではなく、恋の陶酔、その動きに滴る情感、テンボの速さの狂躁が二人の体から迸るところにその面白さがあった。無意味な動きであることなど気が付かなかったのである。それは二人が無意味な振りを情で補って、さながらそこに何かがあるかの如く見せたからであろう。そこに二人の芸があった。
そう思ったのも、鷹之資の努力がたとえそれが無意味でも、体の動きを極限まで見せるところまで見せたからであった。それは動きの骨格を明快にし、同時にその動きがほとんど無意味なものの単純な繰り返しから出来ていることを明確にした。今日はじめて私は「二人椀久」の正体、裸の骨格を見たといってもいい。それを鷹之資が意味のあるように、亡父の様に見せるのはこれからだろう。彼は今日ここまで来た。それは出発点である。彼がその出発点の「初心」を忘れなければ、やがて「二人椀久」はこの人の当たり芸になるだろう。それが見えるようだった。
渡辺愛子の松山は、必死で兄鷹之資について行っている。その努力涙ぐましい。しかしこれはやはり女形の踊りであって、女性が踊るにはまた別な道がある。兄とは違った彼女なりの道がやがて開けるだろう。それはそれで父とは違う世界があってもいいと私は思った。
長唄は稀音家祐介社中。
最初の「矢の根」は鷹之資が凛々たる口跡を聞かせるが、今日は調子をやっているのが残念。声の使い方を工夫すれば治るだろう。指導役の松緑は、あの癖のあるせりふ廻しにもかかわらず、この五郎の意味がよく通じる様になった。それを鷹之資にも学んで欲しい。
動きについていえば、荒事はナマの力ではなく力の表現である。そのナマと虚構の距離感が彼にはまだ掴めていない。芸で見せる「力」でなければ荒事の面白さは成立しないのである。現に七代目三津五郎は、私が見た時すでに高齢であったにもかかわらず、その骨法正しいために荒事の力の表現、目の当たりであった。その距離感、空間への意識は今の松緑にもある。「松緑指導」ならば何よりもそこを学んで欲しい。
曽我十郎は児太郎、大薩摩主膳太夫は九團次、馬子が猿弥。大薩摩は杵屋巳之助、柏要二郎ほか。
『渡辺保の歌舞伎劇評』