2023年6月国立劇場

「日本振袖始」

 六月の歌舞伎鑑賞教室は、扇雀虎之介父子の舞踊「日本振袖始」である。
 最初に虎之介の解説「歌舞伎のみかた」。祥馬を相手に観客との会話を主にした解説が面白い。白い洋服でロック調の音楽、大ゼリに乗って虎之介が登場するが、それがいかにも身についているから、解説の中味もいつもの通り一遍でなく、もっと歌舞伎の核心に触れたものでありたかった。たとえば「花道」は道路にも廊下にもなるというだけでなく、ここがもう一つの舞台であり、その向こうには時間や場所を超えた空間が広がっているということも説明すべきではないか。もっともこれは虎之介のせいではなく台本を書いた人の責任だが。
 二十分の幕間があって「振袖始」。
 浅黄幕の前で雁之助たち三人の村の女たちの筋売りがあって、それが引込むと浅黄幕を振り落として出雲国の簸の川上流の岩組、藁屋。上手に竹本の床、鶴松の稲田姫がいる。鶴松はすることにソツはないが、観客に肝腎の気持ちが伝わらない。この女性がなにを思っているのか、どういうことをしようとしているのかが分からない。説明的になる必要はないが、鶴松の心持がもっと役に入る必要がある。
 花道スッポンから扇雀の岩長姫がせり上がる。
 被衣を取ったところはいつもの赤姫仕立てにぴったり合っていていいが、所々で見せる凄味と変わり身はもっと鮮明でありたい。なにも底を割る必要はないが、それと匂わせるハラが欲しい。
 本舞台へ来て酒に惹かれて壺の間を巡って酒を飲むところは、酔態は巧いが、酒の誘惑に惹かれていく気持ちが薄い。そこがあるともっと酔態が映えた筈である。
 しかし本来女形でありながら「忠臣蔵六段目」の勘平がよかったこの人としては、はまり役であった。
稲田姫を責めて屋体へ入ったところで御簾が下がる。それまでの上手の竹本の床、幹太夫、燕太郎以下四丁四枚を霞幕で隠し、下手へ大薩摩――杵屋三美郎、五七郎が出る。
 大薩摩が終わってまた竹本になり、御簾が上がると扇雀の八岐大蛇。堂々たるものだが、時々うなり声を上げるのが耳障り。幕切れにもリアルに蛇身が殺されるのを見せようとするのがくどいし、余韻を殺ぐ。ここはもっとアッサリキレイに行きたい。吉兵衛以下の大蛇の分身。
 虎之介の素戔嗚尊は、スッキリして爽やかなニンがいい。その爽やかさが芸の爽やかさになって欲しい。「歌舞伎のみかた」で湯衣でやって見せた見得よりも素戔嗚尊の鬘、衣裳を付けた見得の方が小さく見えたのは、芸に幅がないからで、それを身に付けるのがこれからの課題だろう。

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『渡辺保の歌舞伎劇評』