児太郎のお舟
「恋は一目惚れ」といったのはシェイクスピア。「神霊矢口渡」のお舟も、ある日偶然訪ねて来た新田義峯に一目惚れした。お舟の役が難しいのは、このお舟の一瞬に起こる一目惚れを造形しなければならないからである。
児太郎初役のお舟は、その一瞬を丁寧に演じて成功した。ここのクドキは紀伊国屋沢村家に伝わる型が有名だが、児太郎はそういう型よりも心持を大事にして、義峯に惚れて行く少女の、あどけなさ、そして恋の炎の燃え立つサマを、ゆっくりと鷹揚に、大間に造形している。そうすることによってハラが深く、心持ちが観客に沁み通った。この大間な思い入れ、心持ちの表現が巧い。おっとりと鷹揚、品のあるところがいい。
後半は手負いになって、平舞台で櫂を下に突いての立身の見得、太鼓櫓の柱に掴まっての見得とカドカドのきまり、動きの一つ一つが粒立って印象的。お舟の情熱、やり場のない怒りが造形されて、彼女の思いがよく出ている。お舟をする女形は多いが、なかで一際児太郎が抜き出ているのは、この描線の強さである。
対する男女蔵の頓兵衛は、ニンは先頃急逝した亡父左團次譲りだが、ハラが薄く、動き、形だけで隙切れがする。ことに蜘蛛手蛸足、鳴り鍔の引込みの動きの面白さが充分ではない。
新十郎の六蔵はすることに間違いはないが、小粒で見伊達がない。九團次の新田義峯、廣松の傾城うてなは一通り。
次が團十郎二度目の「め組の喧嘩」。
前回通り序幕に品川島崎楼の店先、三幕目に数寄屋河岸の焚き出し喜三郎の内の場を出したのは丁寧でいい。
團十郎のめ組の辰五郎は、眼光鋭いのはいいが、その鋭さが効いて悪党に見えかねない。
右團次の四ツ車大八は、團十郎の辰五郎に対して立派に対抗できる出来。男女蔵の九竜山浪右衛門はガラに合っている。
魁春が尾花屋おくらで、序幕の島崎楼の座敷から次の八ツ山下のだんまりまで、舞台を締めている。
又五郎の焚き出しの喜三郎は、期待したにもかかわらず意外に押しが弱く、もっと大きく自由に芝居をしてもいいと思った。ことに大詰の喧嘩場は鳶と相撲の両方を抑える強さが欲しい。萬次郎の女房は一寸出るだけだがさすがに喜三郎の家の内情、夫婦の生活を何気ないうちに活写している。
雀右衛門の辰五郎女房お仲は、火消の頭の女房らしい向こう意気の強さ、きつばりした男勝りの気質はいいのだが、それに傾く余り情愛が薄く見えるのが問題。
市蔵の亀右衛門は、二度目であるにもかかわらず控え目で手薄に見える。権十郎の江戸座の座元喜太郎は、意外に若輩に見える。家橘と斎入のお屋敷方の侍はいい。
最後は團十郎親子の舞踊「静の法楽舞」。初演よりも整理されて大分見やすくなった。まず長唄、義太夫、常磐津、清元、河東節五流掛け合いが、無駄な不協和音がなくなって洗練されたこと。團十郎の七役早替わりのうち前半の荒れ寺の老女、白蔵主、油坊主、船頭の四役早替わりがトントンと手際がよくなって面白くなったこと。こういうものは理屈抜き、面白いのが第一である。
この四役が終わって、いよいよ静御前、義経の二役早替わりになっていささかテンポが落ちる。團十郎の静は、鬘の髪飾りがよくなく、女形の色気にも欠ける。義経はここ一番の、この人の持ち味がいいが、この二役早替わりはもう一つあざやかでありたい。
最後に「道成寺」の蛇体風の怪生の後ジテは凄味充分。この後半三役が巧く整理洗練されるとこの人の演目になるだろう。
後ジテの押し戻しに新之助とぼたん。この新之助の元禄見得が子供とは思えぬ本格で立派。将来が楽しみである。九團次の蛇骨婆が笑わせる。児太郎のうぶめ、種之助の僧。
『渡辺保の歌舞伎劇評』