三十二年ぶりの花火
二代目猿翁の復活した鶴屋南北の「菊宴月白浪」が三十二年ぶりに上演された。
三十二年前に両国柳橋の場の花火が歌舞伎座の黒幕に美しく輝いたのは、昨日のことの様に覚えているが、さすがに技術は日進月歩、今度は三十二年前とは見違えるほどの美しさ、色とりどりの美しい大輪の花火が、それを眺める中車の斧定九郎と、宙乗りの笑也の女房加古川の亡霊とを映し出して、三十二年前とは比較にならぬ美しさである。
いうまでもなくこの作品は南北が「忠臣蔵」のパロディで、その徹底ぶりは、「忠臣蔵」の名せりふ、名場面の緻密な応用転用によって組み立てられていて、昨今のパロディとは桁が違う作品だが、その面白さが新しい人間関係を生むのとは違うために再演されなかった。それを復活した猿翁が、今度は石川耕士と共に手を入れてさらに手際よくまとめていて、藤間勘十郎と三人の演出である。
しかし脚本演出はそれでいいとして、パロデイが成功するには手練れの役者が要る。たとえば序幕第一場甘縄(高輪)禅覚寺(泉岳寺)の場。塩冶縫之助がつい判官の墓前にお家の秘宝花匡の短刀を供え放しにして、恋人浮橋と色模様になり、この隙にすり替えられてしまう。これは「忠臣蔵」三段目のおかる勘平の色模様のもじりだから、縫之助の役者には判官と勘平の二役の、浮橋の役者にも顔世とおかるの二役の下地がなければ洒落が効かない。それを若い種之助と男寅にやらせるのは、新鮮ではあるが無理で、パロディが生きない。これは一例。こういう例が各所にあって前半は面白くない。
序幕第一場は判官と四十七士の墓前。ここは大序のもじりである。なかでそれらしいのは門之助の石堂数馬之助ただ一人。由次郎の山名次郎左衛門は、薬師寺次郎左衛門と高師直のパロディだから少し安敵過ぎる。師直すなわち史実の吉良が息子を上杉家に養子にやり、その子をつまり孫を吉良家の養子にしている現実の事情を南北が巧く取り込んだ役、それなりの深さが欲しい。
種之助の縫之助、男寅の浮橋は前述の通り。青虎の高師泰は、白塗り過ぎて種之助と対照にならず、赤ッ面とはいかぬまでも砥の粉位の荒若衆であるべきではないか。
歌之助の下部与五郎は、この場だけの役ならこれでもいいが、後に大敵の直助に化ける大役だから、とても無理。それだけの含みがなければならない。
廻って第二場は、禅覚寺書院がカットでいきなり伊皿子斧九郎兵衛の浪宅。前場のカットでここへ縫之助身替りに定九郎の切腹、さらにその身替りに九郎兵衛の切腹というのは詰め込み過ぎて芝居が粒立たない。中車の定九郎は、前半は白塗りの立役であるべきなのに、この人の持ち味のせいか苦み走った敵役の匂いがして、猿之助休演のためとはいえ、不義士実は大忠臣というどんでん返しが利かず、残念。
浅野和之の九郎兵衛は、さすがのベテランもここまで手の込んだ歌舞伎は手に余って、ひたすら故人段四郎が懐かしい。このために中車の定九郎の父九郎兵衛の真意を暴く大芝居が引き立たない。
三場目は山名家討ち入り。これは近代の歌舞伎の討ち入りの小林平八郎の当て込みが違和感になる。前後の南北のはめ込みの巧さと感覚が違うからである。前場で盗賊暁星五郎になった定九郎が忍術を使う。
二幕目第一場、新鳥越借家の場。与五郎が師直の隠し子と知っての変心、加古川殺しの場である。
幕開きの笑也の加古川、男寅の浮橋は筋を通しただけの一通り。続いて歌之助の与五郎が雇い婆おとらから師直の落胤と聞いての変心だが、さすがにこの大芝居は若い歌之助には荷が勝ち過ぎた。幕切れにやっと猿弥の石屋権兵衛が出て場が締まる。猿弥の権兵衛がこの場第一の出来。続いて京蔵のおとらが与五郎を摑まえての芝居の巧さが第二の出来。この人の達者さがよく分かる。
第二場は三囲堤。
原作で行けばこの間にある花屋敷はカット。そのしわ寄せでこの場へいきなり金笄のおかるが出る不利があり、その上に直助の与一兵衛殺しと、権兵衛の浮橋殺しが交錯して芝居の流れがスムースに行かない。
歌之助の直助は、悪に徹し切れず、そのために与一兵衛殺しが段取りだけになる。権兵衛の浮橋殺しも、男寅の浮橋の役を軽くしたのはいいが、その分この錯綜が鮮明でなく、この場の芝居の輪郭が不鮮明でゴタゴタして盛り上がらない。時間のせいで是非もないのか。
この場へ出る壱太郎の金笄のおかるは、花屋敷がカットの不利を補っていい。猿弥の権兵衛も複雑な筋立てゆえ是非もないが、この場はさしたることもなかった。
第三場が小名木川隠れ家。
ここに星五郎が遊芸の師匠になって手傷を負った縫之助を匿っている。その治療には辰の年月生まれの女の生き血がいる。女房加古川が辰年生まれだが行方知れず。困っているところへ加古川の亡霊が現れ、生き血を夫に与え、入れ替わりに死体が届く。女房の死を嘆く星五郎。この死霊の妻と星五郎の愁嘆が見せ場だが、中車は一生懸命の力演にもかかわらず笑也の加古川に哀れ気が薄く共倒れ。
第四場が冒頭に触れた両国柳橋の花火。ここでようやく目の覚める面白さで、中車の星五郎も十分の出来。この花火を境にして芝居が一転、急に面白くなるのは役者が揃うからである。
大詰第一場、本所石原町石屋権兵衛の家。
今度のこの芝居で面白いのは、花火に続いてこの場が一番である。南北得意の石屋の描写のカットは残念だが、芝居の中味は面白い。第一に猿弥の権兵衛が太っ腹で、相手によってさまざまに態度を変えて行く達引きの芝居の巧さ。続いて壱太郎のおかるが大当たり。女伊達の侠気、夜の寝間で独り寝る景色の色気、それぞれサマになっていていい。
この二人に助けられて中車の星五郎がようやくよくなり、歌之助の直助も猿弥に助けられてやっと悪が効いてきて、中車、猿弥、壱太郎、歌之助四人の達引き、一人の女(おかる)に二人の夫(権兵衛と星五郎)、それに双子の兄弟(権兵衛と星五郎)と、南北得意の複雑なシンメトリィがここで綺麗に絵になった。この場は前二回ではそれ程面白いとも思わなかったが、今度はじめて面白かった。役者の背丈が揃った上に芸風が各々対照的で、さらに猿翁、石川耕士、藤間勘十郎の三人の演出家トリオの功績である。むろん脚本も演出も大事、その上に役者が巧くなければこうはいかない。
このあとは牛の御前の祭礼から、星五郎が直助を結って専蔵寺(浅草寺)の大屋根へ大凧に乗って行く中車の星五郎の大活躍。行って来いの宙乗り、最後に落ちそうになって唐傘一本で着地をさすが巧く見せて大喝采。大当りである。後半になってやっと南北の面白さが出て大出来である。
門之助の石堂数馬之助、笑三郎の一文字屋お六、寿猿の祭りの役人寿作ではなやかな幕切れになった。歌之助の直助とこの場はガラが生きていい。
『渡辺保の歌舞伎劇評』