右近の「娘道成寺」
尾上右近の自主公演第七回「研の會」。この暑さ、この歌舞伎混乱の時に当たって、ここに歌舞伎在りという舞台であった。演目は「夏祭」と「娘道成寺」。その「道成寺」が傑出している。
そもそも「道成寺」には「芝居派」と「踊り派」の二派があって、戦後歌舞伎を二分した歌右衛門は「芝居派」、つまり芝居としてその持ち味、情趣で見せる行き方であり、一方梅幸は「踊り派」、つまり踊りの面白さで見せる派であった。芝居派は歌右衛門に続いて四代目雀右衛門、玉三郎ほか、ほとんどの女形であり、踊り派は六代目の衣鉢を継いだ梅幸を別格として、五代目富十郎、十八代目勘三郎、十代目三津五郎らほとんど立役であった。
今度の右近は、その両派が交じり合っているところが面白くもあり、未完成でもある。
まず道行は、花道へ出たところはなやかでこの人の持ち味が十分に出ていいが、前半の「鐘も砕けよ撞木も折れよ」と後半の「咎なき鐘を恨みしも」の二ヶ所の性根が出るところがうす味で、恨みの思いが浅い。オヤオヤと思っていると次の中啓の舞では、乱拍子をカットしていつもの通りだが、ハラがあるのがよく、ここのよさは芝居派である。「真如の月を眺めあかさん」まで位があって、ほとんど表情を殺したユッタリした舞振りで、梅幸ほどではないが品格がよく出ている。この人はやはり芝居派かと思っていると次の「いわず語らず」の手踊りになって一変する。ことに「桜々」の返しも踊ってその前の中啓の舞とは対照的である。
「道成寺」に限らず日本舞踊は、意味のある振り――当て振りと意味のない振りがある。「いわず語らず」にはその無意味な振りが入って来て、右近はそこが巧い。芝居派から踊り派へ、それもイキがいいからである。
しかしそれが頂点に達するのは次の毬唄であった。ここは意味のある当て振りも多いが、その間を繋ぐ意味のない手振りも多い。その両方が右近は巧い。毬唄はその変化の頂点。次々に翻る振袖の袂が空中に美しい線を描き、なんでもない様な振りが地方の長唄の音楽に乗って面白い。すなわち踊り派の踊りである。
次の花笠のわきて節はさしたることなし。いつもは、「あやめ杜若」の返しが九代目団十郎が始めた坊主の総踊りになるが、今度は坊主を出さずに、米吉と種之助の能力二人だけの踊り。この二人だけというのは本来のやり方だが、能力というのは能楽の写しである。この二人の踊りがあるがさすがに「あやめ杜若」ではないが姿が能力では、最後の「可愛らしさの」という長唄の文句とあっていない。やはり二人の坊主であるべきだろう。
いよいよクドキになる。このクドキで右近は踊り派から芝居派に一変する。
両手に手拭いを持って上手からシトシトと歩いて来たところ、もう体一杯物語を背負っている。どこのどういう女という訳ではないが、「女の物語」で溢れている。御承知の様にこのクドキは前後三段に分かれているが、右近はそのいずれにおいても情緒纏綿、いかにも女の情熱が生きている。このクドキの語っても語り尽くせぬ物語に溢れた女の姿は、毬唄の無意味な手振りの面白さとは対照的で、その対照的な面白さに私は充分に堪能した。このクドキは歌右衛門以来の濃厚さである。
しかし「恨み恨みてかこち泣き」は、道行の二ヶ所と同様に恨みの表現が薄く、梅幸以来という訳にはいかなかった。今後の課題だろう。
山尽くしは、これまたクドキとは一転して、気張り過ぎるほどの動き、鞨鼓の音の正確さ、撥先の線の空間に描く模様、いずれも闊達で立役の踊り派の踊る山尽くしだった。一ヶ所「祈り北山」で薄ドロになるとなにものかが憑く様になること、鞨鼓の撥から体を逆落としにするけれんが目を驚かす。ここらがこの人の身上だろう。
「ただ頼め」の手踊りはさしたることもないが、この後半の女らしくない振りを巧く荒っぽくしなかったのはいい。そこから鐘入りまでは大したことはなし。
終わって幕外で切り口上。満場万雷の拍手であった。以上未完成なところも無論あるが、この「道成寺」は立派に歌舞伎座本興行の呼び物になるだろう。
竹本は愛太夫、長一郎ほか。長唄は巳三郎、柏要二郎ほか。
この「道成寺」の前に「夏祭」。住吉鳥居前、三婦内、長町裏の殺しの三場である。
右近の団七とお辰の二役は、さすがに団七が手に余った。きまった形の一つ一つはキレイだが、そこへ行くまでの芝居、動き、体の線が弱い。そのためにいくら形がキレイでも、形がどこか直線的なところがあって厚味がない。この人のニンではないからだろうし、なんでもやれるといっても限界がある。曾祖父六代目の団七を狙ったのだろうが、その伝統も今や消えかかっている。わずかにその名残を鳥居前の髪結い床の大暖簾の菊五郎格子と抱き柏の紋に残すのみ。
ステキに巧いところが一ヶ所だけあった。長町裏の殺しで一刀義平次を斬って花道七三へ行くところ。二重から走り出したところ、続いて途中で囃子のリズムに体が乗って、降りたところでまた歩き方が変わって前後三段に変わってイキもつかせぬ面白さだった。こういうところがこの人は滅法巧い。しかし最後に七三できまると途端に直線的になる。この一ヶ所、それも七三へ行くまでである。しかしカドカドのきまりがさすがに研究してあざやかでその度に客席から大きな拍手が起こったが、そのきまりが済むとイキが漏れて体が団七でなくなる。それが性根に響くのである。
二役お辰は、キッパリした気性がいいが、大きな問題は、なんで彼女が女性でありながら男性の様に意地を立てようとするかが不鮮明だったことだ。今までいろいろな人のお辰を見たがこんなことを考えたことが一度もなかった。ところが右近のお辰でそう思ったのはなぜだか私にも分からない。しかしこのお辰にはそう思わせるところがある。時代のせいか、私の目の悪さか、右近の若さのせいか。
「立ててくだんせ、モシ、三婦さん」は「三婦さん」の落とし方が拙い。引込みに「ここでござんす」といって胸を叩くところ。強く叩き過ぎて「ゴツン」と音がしたのは色消し。
会主右近を別にすれば、この狂言第一の出来は、巳之助の一寸徳兵衛と三河屋義平次の二役。徳兵衛はせりふのトーンが少し不安定だが、まずは右近の団七の恰好の相手役。キッパリしていい。思い掛けないのは義平次。この若さでこの老け役、しかもその強欲を剥き出しにしての憎たらしさ、芝居の突っ込み具合、大手柄である。この義平次でどれだけ右近が引き立ったか。
二番目は鴈治郎の釣船の三婦。今度はいつもと違って多少台本の細部が違うが、鴈治郎がそれを喋ると大坂の匂いがするのがいい。最初の天下茶屋から駕籠で云々のせりふに土地の風景、人の生活が浮かぶ。しかもこの三婦は、大坂の侠客の闊達さ、強さがあって独特である。住吉で褌を床に渡しての引込み、思わず裾を捲ろうとして慌てて前を抑える。上方喜劇の味である。この役は入れ墨がないのが普通だが、今度は入れ墨をしている。
この二人のほかは、いずれも一通り。米吉のお梶は、しっとりした世話女房の余裕が欲しい。花道の引込みに徳兵衛によく気が付くといわれての芝居など、娘の様であった。
種之助の磯之丞は柔らか味が欲しい。「昨日は堺で日を暮らし」といういいせりふが生きていない。
莟玉の琴浦は色気不足。住吉の花道の引込みに、イソイソするのはいいとしても顔で笑うのはいけない。愛嬌は顔でなく身体全体で出すものだろう。三婦内で磯之丞とのいちゃつきがいつもより丁寧なのはいいが、ここも二人とも色気不足。
菊三呂の三婦女房おつぎは、二人のいちゃつきを見てうんざりするのはよくない。このあとお辰へ磯之丞を頼む思い付きも工夫であろうが、おつぎがいやな女に見える。そんなことをしないでも自然に、つい思い付く方が却ってドラマを鮮明にするし、邪魔にならない。新十郎の大鳥佐賀右衛門はおかし味が欲しい。蝶十郎の堤籐内、升三郎のこっぱの権、菊伸のなまこの八。
『渡辺保の歌舞伎劇評』