新時蔵誕生
新しい時蔵が生まれた。梅枝改め六代目時蔵である。それにつれて新時蔵の父親の現時蔵は萬壽に、長男は梅枝になった。親子三代の襲名。その披露狂言は昼の部に「妹背山御殿」。夜の部に舞踊「山姥」である。
まず「妹背山」から。新時蔵初役のお三輪は、竹「迷いはぐれし片鶉」で花道をバタバタで出たところ、あたりに新鮮な風が吹き抜けるよさ。まずは及第である。「お留守かえ」も大過なく、上手から仁左衛門の豆腐買いが、少女姿の幼い新梅枝の手を引いて出る。三人揃ったところで劇中の口上になる。しかし昔の役者と違って今日の若い役者はどうしてもツラッとして口上になり、またもとの芝居に戻ることが出来ない。そこで心持ち、芝居の流れが止まって、口上が済むともう一度一から芝居へ入る。受け取る観客もそうである。昔のように能天気にはいかない。さすがに仁左衛門はそうでもないが、時蔵のお三輪はちょっと腰を折られる。仁左衛門は引込みにいつもの「そな子、あばよ」ではなく「萬屋はん、しっかりお気張りやっしゃ」という様なことをいう。いかにも京都風で面白い。新梅枝はしっかりしている。見ていて思わずこれが行く末七代目時蔵になるのだろうと思った。
今度は父時蔵の時と違って「道行」が付いていないから、いきなり御殿が開くと「姫戻り」になる。豆腐買いが引込むとすぐいじめの官女たちの出になる。その官女が歌六、又五郎、錦之助、獅童、歌昇、萬太郎、種之助、隼人という小川家一家一門総出のオールスター・キャストの豪華版である。しかしこの役者揃いが芝居としてはヒイキの引き倒しになってしまった。やはりいじめの官女はスターが巧くやるものではなく、大部屋の腕っこきの脇役が腕によりを掛けていじめるから、そこに実感が生まれるのだろう。時蔵は一生懸命よくやっているが、このスター揃いの芝居の仕方に印象が霞んで、いま一つお三輪の哀れさが薄くなってしまった。
このお三輪がいいのは、いじめの官女たちが引込んで、いよいよお三輪一人になってからである。官女の後を追って二重に上がる。お三輪の髪には官女たちが付けた悪戯紙と島台が付いている。二重に上がったお三輪がそれに気づいて振り返る。島台を見てきまる。ここからが時蔵のいいところ。島台を見て思わずムッとする。一瞬異様な雰囲気になる。そこがいかにも義太夫狂言らしい。疑着の相という何千何万人に一人という妖しげな相貌が自然に出る。思い入れがよく効いているからだ。そこへ奥から「目出た目出たの若松様よ」という官女たちの声が聞こえる。それを聞いて思わず二足三足戻り掛ける。この無意識に身体が動いて行く具合が巧い。物の怪が付いたような不思議な感覚が出る。ここが時蔵のお三輪の他の人のそれにはない特徴。それは今年一月の新国立劇場の「葛の葉」でも見せた狐の人間を超えた不気味さに似てこの人独特である。しかしすぐ普段のお三輪に戻って耳を塞ぐと花道へ行く。行ってからは普通だが、そこまでの巧さがこのお三輪第一の出来である。
鱶七に刺されてからは、一ヶ所——苧環に頬擦りするところが巧い。いかにも恋しさが溢れている。その他は普通。よくなるのはこれからだろう。
松緑の鱶七は、すでに十分手心のある役で、今度は格段にスケールの大きさが増して、いい鱶七である。前半の「鱶七上使」がカットのために、二重の奥からの出が素っ気なく見えるが、物語は後ろ六法の動き、カドカドのお定まりの見得の形ともに十分に堪能させる分厚さ。ただ唯一の欠点はせりふの言葉尻が訛る悪い癖が出て来ている。それを除けば当代の鱶七なのに残念。
時蔵改め萬壽の求女は、柔らかさ、上品さで一級品。七之助の橘姫は、持ち味に厚みが出て来たのはいいが、いささか冷静過ぎ、孝と恋とに悩む熱情が欲しい。
この「妹背山御殿」の前に、川村花菱作、齋藤雅文演出の、獅童と菊之助という珍しい顔合わせの「上州土産百両首」と「千本桜」のスピンオフ作品、又五郎ほかの舞踊「時鳥花有里」。
「上州土産」は、巾着切りの板場の正太郎(獅童)と人のいい弟分の無頼漢牙次郎(菊之助)の友情物語。堅気になろうと決心した二人が十年後の再会を約束して別れるが、さてその十年後になって見れば、正太郎は人殺しのお尋ね者、牙次郎は御用聞きの手下になっていたというドラマである。
一見面白そうに見えるが、私には正太郎と牙次郎二人の友情が分かったようで実は分り難かった。それに十年後に二人の立場が対立した時、それを知った時に二人が苦しむ瞬間が巧く芝居になっていない。ドラマとしては未完成である。獅童も菊之助も難しい役を懸命にこなしているが、戯曲の欠点はどうにもならず、二人ともに肝腎の情が映らない。獅童はともかく菊之助は今月この一役というのは物足りない。
歌六の御用聞き隼の勘次、萬次郎の勘次の女房おせき、錦之助の巾着切りの親分金的の与一、隼人の三次、米吉の宇兵衛の娘おそで、錦吾の宇兵衛と周囲は揃っているが、いずれも役という程書き込まれていないためにしどころもなく見伊達もない。もっと思い切って構成し直すべきだと思った。
「時鳥花有里」は、わずか二十五分の舞踊劇に道中筋、桜の山々、そして竜田明神の神殿と三杯道具の贅沢さの上に、又五郎の義経を中心に孝太郎の明神の神女、種之助の明神、児太郎、米吉、左近とキレイどころの神女、染五郎の従者と若手花形を集めてのショウアップ。観光客の外国人にはよかろうが見た目ばかりで実がない一幕。
なかでは又五郎の義経が、母常盤御前に抱かれて通った小幡の関の物語でいい風情を見せた。続いて染五郎の従者がキリッと締まったいい出来。それにしても夜の部の「八犬伝」といい、これといい、最近の歌舞伎座は若手を一把一絡げにする舞台が目に付く。これでは折角の才能が育たないだろう。長唄は鳥羽屋三右衛門、杵屋五七郎ほか。
夜の部は最初が「八犬伝」の円塚山。前半に網干左母二郎の浜路殺し、それを討つ犬山道節を見せて、後半のだんまりに無理に八犬士の顔を揃えた一幕。
歌昇の犬山道節、巳之助の網干左母二郎と犬飼現八の二役、種之助の犬村角太郎、米吉の浜路と二役犬塚信乃、児太郎の犬坂毛野、橋之助の犬田小文吾、左近の犬江親兵衛。とこれだけ無理に揃えても、相変わらずだんまりは暗闇を少しも感じさせず、怪人たちが公園を散歩している如くである。なかでは巳之助の左母二郎の色悪振り、変わった二役犬飼現八で金襴の四天、百日鬘、瓜実顔の古風な姿が目に付く。
歌昇の道節は期待して行ったが、役に中味がないせいか、意外に線が細く、いつものスケールがない。その錦絵の顔も生きなかった。
続いて萬屋三代の襲名披露狂言「山姥」。
前半にいつもの常磐津の名曲「山巡り」があって、時蔵改め萬壽の山姥がさすがにしっとりしたところを見せる。新梅枝の怪童丸はまだあどけないのにしっかりしている。
芝翫の三田の仕。
そこへ萬太郎の猪熊入道が追手に来る。三枚目敵だが萬太郎が嫌味なく、怪童丸の梅枝を引き立てて好演。
その後が道具代わりになって黒塗りの御殿。菊五郎の大納言兼冬を中心に、歌六の多田満仲、又五郎の平井保昌。そこへ獅童の源頼光に連れられて、初舞台の獅童の長男陽喜、次男夏幹、梅枝改め時蔵と二家族が並んでの劇中口上になる。大一座、大看板の襲名披露である。
常磐津は兼太夫、文字兵衛ほか。竹本は東太夫、翔也ほかの掛け合いである。
最後が「魚屋宗五郎」。いつもの通り宗五郎内、磯部の屋敷の玄関先、廻って奥庭の三場。
獅童の宗五郎。もともと獅童は時代物に向いていて、今時珍しく力強く太いタッチの人。「千本桜」の知盛が当たり芸なのに、どういう風の吹き回しか魚屋宗五郎とは折角の逸材を勿体ない。ことに宗五郎が禁酒を破っての酔態、ジワジワと変わって行く細緻な芸が必要なのに、これではキメが粗すぎる。時々パッと飛躍するこの人の力強さは時代物でこそ生きるのに、世話物だとただの断絶になり、宗五郎が酒乱のDV亭主になってしまう。
しかしこの「魚屋宗五郎」は、周囲は前代未聞の贅沢さ。見た目ばかりのショウアップと違って芝居の実のある贅沢さであった。というのは幕開きの板付きで魁春の菊茶屋の女将、七之助の女房おはま、萬太郎の三吉、男寅の菊茶屋の娘まで、切って嵌めたはまり役揃い。そこへ宗五郎の出に松緑の鳶の者が絡むと来ては贅沢の極みで舞台が生きている。これに権十郎の太兵衛、孝太郎の腰元おなぎを加えて当代の見ものである。
磯部の屋敷になると、坂東亀蔵の浦戸十左衛門、隼人の爽やかな磯部主計之助、辰緑の門番までいい。カットがあるとはいえ国矢の岩上典蔵がこれらの豪華版に引けを取らなかったのは大手柄である。
『渡辺保の歌舞伎劇評』