超スピードの「忠臣蔵」
昼の部が大序から六段目まで三十分の幕間を入れて二時間四十分。夜の部が七段目と「裏表忠臣蔵」の裏に当たる二場に討ち入りを加えて同じく二時間二十五分。昼夜とも驚くべき速さである。石川耕士補綴演出、藤間勘十郎演出振付、團十郎が師直、勘平、定九郎、由良助の四役早変わり、定九郎の宙乗りをお目に掛けるという奮闘公演。順序通りに書いて行く。
大序はむろん口上人形はなし。いきなり團十郎の師直と右團次の若狭助の口論があって兜改めもない。すぐ雑式の持って来た兜を梅玉の塩冶判官が持って入る。顔世がその場にいないから仕所もない。若狭助が早舞で引込んだところへ雑式が出て顔世参詣を告げて廣松の顔世が下手から出る。師直の口説きがあって若狭助が出ていつもの通り若狭助がカッとなったところへ例の「還御だ」になって師直は二重立身、平舞台下手に立つ若狭助が座った顔世を囲って三人引張りの見得で幕を引く。
御承知の通り師直には二通りのやり方があって、立敵として毅然とする人(たとえば二代目松緑)と、リアルに憎たらしさを強調する人(たとえば十七代目勘三郎)がいる。團十郎は前者が似合っているが、それにはもっと時代でありたい。剛直な線の強さが足りないのである。
梅玉の判官はニンは天下一品だが、すでに触れた通りしどころが少なくなって残念。右團次の若狭助は、師直に三度挨拶するのをあしらわれるところなど丁寧さが足りず、芸の輪郭が不鮮明。廣松の顔世御前、種之助の直義。
ここまではただのカット版だと思っていたが、このあと、お城の道具幕を引いたところから石川耕士の台本が俄然精彩を放つ。幕を引くとすぐ花道へ矢絣りの着付けで文箱を持った腰元のおかるが、提灯を持った中間を先に立てて出る。浄瑠璃本文三段目の「文使い」を巧く使っているからである。児太郎のおかるは矢絣りが似合っていい。ただ中間のあしらいはいささか権高過ぎる。たしかにおかるは御台様付きのお腰元、中間とは身分が違うが、それでも愛嬌を見せるのが色気になるのだろう。しかしここでおかるの文使いを見せたのは石川耕士の知恵で、カットのツナギだけでなくおかる勘平の恋と師直、判官、顔世の三角関係の対照が鮮明に出た。分り易い。
おかるが本舞台下手へ入って道具幕を引くと、すでに松の間に梅玉の判官が座っていて下手から茶道がおかるが持って来た文箱を持って来る。判官がいつもの通りそれを返そうとするのを上手から團十郎の師直が止めて出る。手際がいい。若狭助はカットである。スピーディこの上ない。そのかわり芝居のしどころ、奥行きが失われたのは是非もない。現に梅玉の判官は、若狭助との対照を失い、師直の悪態に手持無沙汰で、見ているこっちもなかなかドラマに入れなかったのも否定できない。判官ばかりでなく團十郎の師直も同様。「鮒だ鮒だ鮒侍だァ」から竹「出放題」の大見得も期待した程の凄味が出なかったのもそのためだろう。
アッという間に刃傷が終わる。幕を引いて折り返して四段目。板付きで廣松の顔世、九團次の斧九太夫、男女蔵の原郷右衛門。珍しく花献上が見られるかと思ったが花籠はなく、ただし筋は売って分り易い。上使のお入りと聞いて顔世が入ると「両人出迎う間もなく」石堂をカットして市蔵の薬師寺次郎左衛門が来る。
薬師寺が九太夫に判官の出迎えがないのを責めると、正面の襖が開いて白装束、水裃の梅玉の判官が出て来る。梅玉の黒の着流しの姿が見られないのが残念だが仕方がない。それよりも判官へ切腹の申し渡しがないのに白装束になっているのは少し性急だが、しかしもう時間がない。
梅玉の判官は、由良助を待ち兼ねる間の思い入れといい、力弥の持ってきた腹切り刀に目を落とす前後の芝居に、いい様のない寂しい孤独の静寂が出る。梅玉の判官ここ一番の出来である。ようやく本街道に出たといってもいい。
評定はカット。白装束になった顔世が出て「これ見てたも」で立身、由良助と二人きまったところで白い幕を振り被せる。ツナギで析が入ると幕を振り落としていつもの城明け渡し。
門内から九太夫と左升の近藤源四郎が出て、花道へ行きながらお金配分の話をして入ると、続いていわゆる評定の「残る諸士」が出て行き掛けるのを由良助が出て止める芝居、評定の呼び止めである。いささか苦しいが巧く纏めてある。しかしここでいつもの様に溜飲が下がらないのは、室内ではないからだろう。諸士が止まったところへ花道から大勢の「デモ侍」が出ていつもの通り。もっとも力弥はカットである。
團十郎の由良助は、花道七三へ行き館を振り返るところが、感無量の心持が自然に出て、この役ではここが一番の収穫である。
幕間を挟んで次の幕は、いきなり本文の六段目のおかるが「ぐはら娘」として描かれる母子の対話を見せたのが巧い。児太郎のおかるは、ここで無理なく矢絣の腰元から石持ちの女房姿に繋がったのは石川本の手柄である。梅花のおかやと二人きりの芝居が済むと五段目に戻る。
團十郎の定九郎は黒紋付が似合っていい。新蔵の与市兵衛。定九郎が花道へ行き掛けたところへ上手の籔畳から九團次の九太夫が出る。その「五十両」をよこせという。それを聞いて定九郎が「見られたからはしょうがない」といって金包みをほおり出すのは、ここが暗闇だけに注意が足りない。それはともかく、なんでそんなことになるのかと思っているうちに、定九郎は花道七三でツケ入りの大見得を切ってサッサと引込でしまう。そこへ猪が出て九太夫が息子の代わりに勘平に鉄砲で撃たれて死ぬ。なるほど石川本はなかなか考えてある。ただのカット本ではなく、ここに新しい発見がある。その発見は大詰にはじめて分かるのだから面白い。
團十郎の勘平は、四国金毘羅の金丸座の初役を見に行って以来、この人に切って嵌めた様な役、しかもあの時と比べて当然のことながら格段の進歩。芸のスケールも大きくなり、艶も増した出来。五段目は、松の木に突き当たって掛け稲を掴んで露をきったきまりがないのが物足りないが、その後の死骸を打った山刀を持ってのきまり、細引きを流して腕に掛けたきまりと、いかにも自然で形よりも心持ち本位ですんなりと行くところに、この人の特徴がある。
六段目になると駕籠を押し戻して家に入り、今度は新演出で舞台で着替えずに暖簾口に入ってお納戸色の紋服に着替えて出たところ、哀愁溢れ、しかも渋く、人形の様な無表情さ、なまじキョロキョロしないのがいい。例の財布を見るところも、サラサラとしながら、スンナリ自然にきまって形になっている。しかし腹を切っての幕切れの、勘平をスポットで抜いて後ろに義士の群像を見せたのだけは行き過ぎ。新劇染みている。團十郎の四役では、この勘平が第一、第二に悪の苦味の効いた定九郎、由良助第三、師直が少し離れて第四である。
児太郎のおかる、梅花のおかや、男女蔵の原郷右衛門、福之助の千崎、芝のぶの一文字屋お才、新十郎の判人源六。なかでは新十郎の源六が軽くていい。これは台本の問題だが、二人侍が全ては大星が知っていて、それでわざと勘平を追い詰めて切腹させたというのは、理屈はそうだとしてもあくまでそれは暗黙の推測。そこまで言っては身も蓋もない。
夜の部は七段目で開く。幕開きは、遊女、芸妓、仲居、太鼓持ちの総踊りで開くが、いつもの黒御簾の「花に遊ばば、祇園辺りの色揃え」の騒ぎ唄でだれもいないで開く方が、却って廓の賑わいを感じさせるから不思議である。
三人侍が寺岡平右衛門ではなく種之助の前髪の佐藤與茂七を連れて由良助に面会に来る。與茂七が仇討のお供にというのは、平右衛門通り。團十郎の由良助は、四段目と違ってここはまだ遊びの色気が足りない。今後の課題だろう。種之助の與茂七は平右衛門の代わりというだけ。
一行が引込むと虎之介の力弥の出になる。いつもの芝居があって二人が入る。九太夫が死んでいるから蛸肴はない。かわりに今は師直のボディ・ガードになっている團十郎の定九郎と左升の近藤源四郎が出て、力弥の持って来た、あの密書が怪しいといって近藤が九太夫の代わりに縁の下へ。そこへ歌昇の平右衛門が出て奥へ入ると、おかるの出からいつもの釣灯籠になる。
児太郎のおかるは、いつもの遊女姿に艶が出て、色気があっていい。大序の後の文使いから尾を引いて六段目、さらにここになると、彼女の勘平への想いが一貫して浮かび上がる。由良助が入ると入れ替わりに上手から平右衛門が出る。由良助に呼ばれておかるを殺せといわれて来たというのは一寸無理筋だが、いつもの由良助の心底を推測するという芝居が必要ないだけに、平右衛門の苦悩は一気呵成に出る。歌昇の、その怒涛の様な苦悩、それを刎ね退ける殺気が火を噴く。台本のせいもあっていつものジャラジャラとした歌舞伎の入れ事がなくて、簡潔でしかもテンポがあっていい。平右衛門がおかるを殺そうと必死になる緊迫感——裂帛の気勢を歌昇が巧く見せての熱演。児太郎と共にトントンと運んで今度の「忠臣蔵」一の当たりである。
あわやおかるが殺されようとするところへ由良助が出て、近藤源四郎を引き摺り出しての芝居は二重の上でやる。送り出しは平右衛門に謎をかけ平右衛門が呑み込んでいつもの通り。いつもと違うのはここへ與茂七が出て平右衛門と共に東へのお供がかなって、はじめて四十七士が揃うということである。
次の幕が金谷宿の本陣で、例の垣見五郎兵衛の一件を加古川本蔵にして梅玉がやる。さらに次が稲瀬川の川端。塩冶本家の下屋敷の門前。討ち入り前夜。幕切れが團十郎の由良助、定九郎、男女蔵の原郷右衛門、福之助の千崎に廣松の顔世が絡んでだんまり。幕外の舟に早替わりで團十郎の由良助が乗っていての引込みである。
この二幕がウラで大詰が討ち入り。師直屋敷の奥庭で正面に東屋。團十郎が雨戸を使って師直、定九郎、由良助を目まぐるしく変わる。ここと思えば、またかしこで観客大喜びである。最後に東屋の屋根へ上ったところを花道すっぼんにせり上がった吹き替えの勘平の亡霊に鉄砲で撃ち殺される。その定九郎を歌昇の平右衛門が親与市兵衛の敵と追い廻す。なるほど言われてみればその通り。これがもう一つの敵討ちというところが効いてくる。
その雪の中に遊女姿のおかるが出て、思い出というか幻想を見る。それが新之助の勘平、ぼたんのおかるで清元の「落人」になる。清「桜桜という名に惚れて」。
撃ち殺された定九郎は、恋も忠義も夜の闇があってこそと空うそぶいて宙乗りになる。そこが面白い。石川耕士の「忠臣蔵」はただのカット版ではなく、そこに新しい「忠臣蔵」の人間関係を発見した。師直と判官の敵同士は、与市兵衛一家と斧家一族の闘いでもあった。それをおかるという女が雪の中で見詰めている。そう思った時「忠臣蔵」のもう一つの物語が浮かび上がった。
最後の一場は四十七士の引き上げである。
『渡辺保の歌舞伎劇評』