新鮮な時蔵のおかる
三月の歌舞伎座は五日が招待日だったが、生憎風邪をひいて行かれなかったので、取り敢えず七日の夜の部だけを見た。演目は「忠臣蔵」の通し、座組は菊五郎、仁左衛門、梅玉、魁春、芝翫、歌六、萬壽、錦之助というベテランに、扇雀、松緑、菊之助、愛之助、勘九郎、七之助という中堅、若手の松也、時蔵、右近、隼人という三世代合同の大一座。一人一役では捌き切れなくてABのダブルキャストである。私の見た七日の夜の部はAプロであった。五段目の鉄砲渡し、二つ玉、六段目の勘平腹切り、七段目の茶屋場、大詰討ち入りの表門、奥庭、炭部屋、花水橋の引き揚げの四場。午後四時半に開いて九時終演である。
このなかでは時蔵初役のおかるが新鮮でいい。
おかるという役には、三段目の腰元、六段目の世話女房、七段目の遊女と三段に役柄が変わるのに、六段目は腰元、七段目は世話女房でと、それぞれ前段の気持ちで勤めるという口伝がある。ということは私も知っていたが、それは段ごとに変わる役柄に筋を通すための口伝だと思っていた。ところが今日時蔵のおかるを見て、はじめてこの口伝がただ筋を通すだけのものではないことを知った。すなわち時蔵のおかるは六段目で、この女の前身、そして未来の姿を集約して見せたのである。おかるという女のその場その場、その時々を見せるだけではなく、この場に全体を集約して見せたのである。
詳しく見てみよう。五段目が終わって舞台が廻って来る。おかるがお才と源六に茶を運んで来る。源六がこの女が例の、というのでおかるが持っていた黒塗りの盆で顔を隠す。そこまではどうということもなかったが、そのすぐ後、源六とおかやのやり取りをおかやの下手に座って三つ指を突いてジッと聞いている。その姿で舞台が一変した。なんともいえないしっとりして行儀がいい。それを見ているとおかるという女の人生が一遍に噴き出した。世話女房の姿をしていながら腰元そのもの。それのみかこれから今まで思いもかけなかった卑しい娼婦に身を売る生活への不安。お才と源六へのおののきと不安がある。その影が過ぎった時に、この女に七段目の遊女の姿が浮んだ。それも誰ゆえ恋人ゆえ、恋に生き恋に死ぬ女の人生。それがあの口伝の本当の意味であり、おかるという女の人生の浮き沈み目の当たり。むろん形だけなら三つ指を突く位誰にだって出来る。しかし三つ指を突くことによって人生を表現することは容易ではない。そういう変転に生きる人間を三つ指一つに描いたところに時蔵の新鮮さがある。
その後も行儀がいい。これからの生活への怯えもあざやかである。そしていよいよ別れの瞬間がやって来る。源六に煙草盆を持って門口に立つ。いつも誰でもするようでいてほんのわずか違う。格子戸を締めきって前にトンと音を立てて体が崩れて悲しみが吹き出す。母親に手を取られての「指なと切ってたもるなや」にも新しい生活の不安が色濃く、勘平に抱かれての後ろ姿の情愛もよく、三つの姿の変化の中におかるの過去の腰元、現在の世話女房、未来の遊女が浮かぶところにこれまでのおかるにない視点があり、さながらこの一段前半はおかるという女の物語であった。
むろんこの物語は、一方で菊之助の勘平のよさでもある。
まず五段目鉄砲渡し。笠を取って空を見上げたところ、菊之助のニンがいい。
もっとも私は十七代目勘三郎の舞台下手向きの体の上半身を捻って舞台上手の空を見上げ、同時に右足を僅かに伸ばす技巧が忘れられない。上半身を捻るというところにここの味の深さがあるのだろう。菊之助は下手向きでそのまゝ下手の空を見上げている。それでもむろんいいが、折角のいいニンの印象が薄くなるのが残念。そういう風情はこれからだろう。
千崎と知ってからの「これはしたり」は、千崎の萬太郎のイキがいいのと芝居が巧いのとで、二人が塩冶の家中の親しい朋輩であったのが色濃く出ていい。この段のテーマの一つは、勘平、千崎、そして定九郎という同輩三人の御家没落後の人生の有為転変が対照的に出るところにあるからである。もっとも菊之助はそうしていないが、千崎と気付いた瞬間に思わず向こうを見る方が、その設定の感懐が生きるだろう。
千崎と別れて花道へ掛かる幕切れは、雨音が入っているのに足の運びに「雨」が感じられない。もっともこれは尾上右近の定九郎が蛇の目の破れ傘をさして花道へ行くところも同じ。こういうところで世話物の味が飛んでしまう。
二つ玉になる。勘平の、藁を持ってのきまり、山刀を裾で拭くきまり、細引きを手繰ってのきまりと前後三回のきまりが、菊之助ほどのニンはそうはないから十分堪能させる。歌舞伎座の大舞台いっぱいの勘平である。もっとも三回とも腰高すぎる。
撃ったのが人と気付いて、花道へ行って七三で「あの金を」というパントマイムは極くアッサリしていて物足りない。これほどのニンのよさだからいうのだが、もっとコッテリやればこの人第一の当たり芸になるところである。このニンならコッテリやっても決してクサくはならないはずである。花道の引込みも、七三で大きくよろめいてそれから二、三歩歩いてすぐ日常に帰ってしまうのが残念。
六段目になる。勘平の出。おかるが駕籠に乗っているのを見ての「狩人の女房がお駕籠でもあるめえじゃねぇか」が気障な違和感がないのは、菊之助のニンの強み。それからお才と源六を気にしての「あのという人もあるめぇじゃあねぇか」の丁寧な巧さ、おかやの手から財布を取っての空笑い、いずれも身に付いた良さ、これだからもっと突っ込んでもクサくならないだろうというのだ。
お才が出した縞の財布に気が付くところは、もっと芝居にすべきだ。おかるとの別れも十分だが、おかるたち一行が居なくなると、急に芝居のテンポが落ちるのは、むろん菊之助一人のせいではないが、与市兵衛の死体が帰って来るのに気が付くところ、竹「五体に熱湯の」が、どちらもキッパリしないためである。
二人侍の出になる。菊之助の口跡、せりふ廻しがよく通っているが「色に耽ったばかりに」にはもう一つ哀愁が足りなく情が薄い。これから回を重ねて味が出るのだろう。
歌六の不破数右衛門が地味だがキッチリした出来で舞台を締めた。萬壽の一文字屋お才は一見それらしく見えないでいて、芝居の巧さで祇園の女郎屋の女将らしい風格が出ていい、この人がいなくなった途端に舞台が寂しくなる。橘太郎の判人源六はイキがよく、タンカも切れて、可笑し味も出て、前半の空気をリードした。
右近の定九郎は、悪の凄味が身に付かず「五十両」の一言にも違和感がある。萬太郎の千崎は意気込みが十分、小柄なニンを芝居で大きく見せている。狩人三人は元気がない。吉弥のおかやは、老婆の枯れた味、情の深さがなく、この人はまだ老け役の人ではなく、六段目では一文字屋お才のニンなのだろう。
六段目の好成績に対して、七段目の茶屋場は期待外れ。期待して行った愛之助の由良助はやはり手に余った。よほどこの役は難しいのだろう。ことに前半「面無い千鳥」から三人侍と平右衛門とのやり取りがよくない。
この役には二つの側面がある。一つは敵討ちの本心、もう一つはその本心を隠す遊び心である。愛之助は、その敵討ちの本心、毅然とした面構えは出来ているが、それを隠す遊び心が出来ていない。その遊び心を表現するには、酔態、洒落っ気、可笑し味がなければならない。まず酔態。愛之助は酔ったところを見せようとしてかえって真面目になるから、酒が抜ける。生酔いになる。それにつれて自然と洒落っ気も可笑し味もなくなる。そこで前半が詰まらなくなる。
竹「山科よりは一里半」で左近の力弥の出になる。左近は年配、若衆のニン、ピッタリである。ここで愛之助は本心を見せる、いい出来である。キッカリとした輪郭は出来ている。それが九太夫が出て「蛸肴」になる。片岡亀蔵の九太夫は意外に生真面目で平凡。愛之助にはまだ二重のハラが出来ない。竹「微塵になれ」と「おのれ」と本心、それが砕けて「末社どーも」になる砕け方も不十分なのは、遊びの洒落が効いていないからだ。
時蔵のおかるの出。この場はさすがに六段目ほどではないが、障子を引いたところのいくらか上手に傾いての立ち姿、二階からの延べ鏡で手摺にグッと寄っての横座りの距離感、いずれも心持ちがそのまゝ絵になっている。立派な歌舞伎座の立女形。
由良助は「九太はもう行かれたそうな」から釣り灯籠になって愛之助はようやく前半の不振を取り返す。時蔵のおかるは、二、三度フッと下へ落とす視線に寂しい遊女の寂しさが出る。
竹「折に出で合う平右衛門」で、巳之助の平右衛門三度目の出になる。最初の三人侍についての出は平凡。二度目の出から引込みまでは.身体は良く効いて二重から飛び降りるギバなどあざやかを極めるが、芝居は十分ではなかった。
しかし三度目の出になってからはいい。ことにおかるが遊女になったのを恥じるのを誉めるところ、平舞台へ逃げるおかるを追って二重真中の梯子から右足を一段踏み外して両手を上げる件りが、芝居といい体の動きといい見事でよかった。その後の「髪の飾りや化粧して」辺りも芝居が確りしている。ことに幕切れ近く由良助に敵討ちの供を許されて「お供が叶った叶った」というところは、厳しい封建時代の身分制度を乗り超えた熱情、ドラマを感じさせて胸に応える。後半はいい平右衛門である。
時蔵のおかるは、六段目ほどではなかったが、格調があっていい。ただこの二人の後半はやや足が遅く、もう少し運びは速い方がいい。歌舞伎の入れ事の部分を面白く見せるという二人ではなかった。
松江、男女蔵、亀鶴の三人侍は、落ち着いて血気盛んな若侍とは見えず、亀蔵の九太夫は意外に面白味が薄い。松之助の鷺坂伴内もこの人にしては平凡。仲居と太鼓持ちの見立てはカット。
十分の幕間で大詰四場。いずれもさしたることはない。愛之助の由良助、左近の力弥、錦之助の原郷右衛門、巳之助の平右衛門そのほか。
最後の花水橋の引き揚げに馬上ながらも菊五郎の服部逸郎が登場、愛之助の由良助を見送って幕になる。さすがに菊五郎が出ると舞台の空気が一変してホッとするのは是非もない。
『渡辺保の歌舞伎劇評』