右近の「鏡獅子」
夜の部の右近の「鏡獅子」を見て踊りの面白さを堪能した。
瓜実顔の初々しい御小姓弥生であったが、私が感動したのはその風情よりも踊りの作る身体の言葉がその動きに連れて舞台に溢れて来て、独特の世界を創ったからである。振りいっぱいに体が動いて、その動きが単にキレイなばかりでなく、均整が取れてしかもたっぷりした味わいで舞台に広がる。
御承知の通り日本の古典舞踊は、地方の音楽の詞章を大事にする。したがって振りはその詞章に従いいわゆる「当て振り」になる。「月」といえば空を指し、「酒」といえば指で盃を作って飲む振りをする。そうすることでそこに意味が生じ、人間が描かれ、物語が生まれる。「鏡獅子」も然り。しかし今度の「鏡獅子」を見ていると振りの意味も人間の姿も物語も超えて、そこに抽象的な身体言語が現れてそれがなんともいえない快感を観客に与える。純粋舞踊とでもいうべきか。むろん踊りにはいろいろな面白さがあるが、この右近の示した面白さは、もっとも純粋で、身体の動きそのものが与える本質的なモノであった。その証拠に、この均整の取れた動きの果てに現れた言葉が、舞踊のもつ「詩」とでもいうべき世界を開いたのである。
「鏡獅子」が江戸時代の大奥の正月の行事「御鏡開き」を描くものだということはよく知られているが、私は明治二十六年初演ということから考えても大奥といいながら実は二階正面——つまり弥生が最初に挨拶するのは徳川将軍ではなく明治天皇であり、近代の夜明けを示しているのではないだろうか。そしてそれは単なる歌舞伎舞踊である原作の「枕獅子」を超えて新しい身体言語の発見を意味したのではないだろうか。五代目福助はその芸談のなかで「鏡獅子」の難しいのは「中ダメ」が多いからだといっている。「中ダメ」とはグッと腰を矯めるのでなく、宙に浮かしながら矯めることをいう。たしかにそうすることによって重心から何から全てが変わって来る。九代目団十郎は「鏡獅子」をそういう風に振り付けたのであり、それこそ彼の新しい身体の発見だったに違いない。むろん「中ダメ」は彼の発明ではない。江戸時代からある技法である。しかしこの技法をこういう風に多用したのは九代目がはじめてだったろう。
ということを、右近を見ながら考えたのは、その振りの深さを今更ながら思い知ったからである。右近の「鏡獅子」はそこまで考えさせる新鮮さを持っていた。
それに右近の舞台は、この曲の持つ構造、つまり神話——伝説——俗謡という三段階の構成の繰り返しあることも鮮明にしている。たとえば「女神男神の二柱」の神話から「伊勢海女小舟」の伝説に至り、「川崎音頭」の俗謡に砕けて行く様な構成が全曲にわたって繰り返される構造がくっきり浮かび上がっている。その点でも本質的な舞台だったといっていい。巧い下手よりも本質的なものを掴んでいる。
後半の獅子も勇壮闊達、目覚ましかった。それに幕切れの毛を振るのも回数を抑えて勢いを見せたのはいい。市川翠扇があまり回数を多く振るのは品がないといっているのは、単に上品下品の問題ばかりではなく、回数を多く振るとどうしても毛が横に寝て仕舞うからだろう。
胡蝶は眞秀、亀三郎。橘太郎の家老、青虎の用人、梅花の老女、京妙の局。長唄は勝四郎、巳太郎ほか。
夜の部はこの「鏡獅子」の前に「毛谷村」、後に松緑の新作「無筆の出世」。
「毛谷村」は杉坂墓所と六助住家の二場。六助は仁左衛門と幸四郎の一日替りで、私の見た日は幸四郎の日であった。杉坂墓所は、幸四郎は花道から香花を持って出る。七三で止まって母を失くして本意ないという哀れさを聞かせる。
総じて幸四郎の六助は、前半お園が出る迄の、お幸とのやり取り、鶯の声を聞く件り、弥三松をあやす件りなどで、カドカドを締めて後はサラサラと運ぶ。ことにその愛嬌は、故人富十郎が二代目延若風の上方一流の濃厚さだったのに対して、吉右衛門はキッチリ締まっていてその積み重ねで作るところに面白さがあり、幸四郎もそれに従う。お園の出以後も悪くないが、さらに進むと後半はいささか盛り上がりに欠けて平板。竹「義の一字」の前後はなやかさに欠ける。この点がもう一工夫あればいい六助である。
お園は、仁左衛門の相手役を度々勤めた孝太郎で、さすがに幸四郎とならぶと一日の長がある。ことに竹「うっかり眺め」の臼を持ち上げる前後は、手甲で口元を抑える辺り色気が滲み出てよく、続くクドキもカラミを使ってイトに乗る具合がまことにいい。
東蔵のお幸が格調があってよく、歌六の微塵弾正は、花道の引込みに本舞台を見込んでの笑いの凄味、フッと気づいて気を変えて腕の傷を抑えてからの大見得、時代物の敵役らしい位を持った出来栄えでいい。歌昇の斧右衛門は嫌味なこと一切なく素直で真直ぐな出来。この周囲の手揃いも有って、幸四郎の六助も引き立ちいい一幕になった。
「無筆の出世」は、講談の神田松鯉の原作、竹柴潤一脚本、西森英行演出。
隅田川の御厩の渡しの舟に駆け込んだ旗本佐々与左衛門(鴈治郎)の中間治助(松緑)が川のなかへ主人に使いを命じられた文箱を落として仕舞った。水で濡れた手紙を乾かしているうちについ見るともなく読んでしまった大徳寺住職日栄(吉之丞)が治助を助ける。無筆の治助は知らなかったが、手紙には手紙を持参した治助を新刀の試し切りにしてくれと書いてあったのだ。日栄に匿われた治助は日栄の友人夏目左内(中車)に目を掛けられ、字を覚えたばかりか、勉学の末に学者になり、ついに勘定奉行にまで出世した。
今は松山伊予守治助となった彼は、春のある日、屋敷へ旧主佐々与左衛門を招く。旧主の前に手を突いた治助は、あなたの御陰で今日の自分があるという。昔の恨みを恩で返すという奇談である。舟のなかの事故、日栄の情け、治助の努力と誠実さ、いずれも奇想天外で軽い肩の凝らない世話物として面白いし、松緑には打って付けの役でもあるが、惜しいことに一点問題がある。最後の治助が仇を恩で返すところが巧く行っていない。というのは仇を恩で返すのは珍しいだけに、とかく嫌味に恩着せ勝ちに見えることである。そこを神田松鯉の生出演で逃げているが、本当はここで治助と与左衛門との、人格の変化がもうひと芝居なければ、嫌味が感動にならないだろうと思う。
松緑の治助がいいのはすでに触れた通り。中車の夏目左内、笑三郎のその妻、吉之丞の日栄、左近の治助の息子、玉朗の治助の妻と周囲も地味だが手堅く世話物らしい感蝕でいい。
以上の夜の部に対して、昼の部は不振である。最初が永井紗耶子原作、齋藤雅文脚本・演出の新作「木挽町のあだ討ち」と幸四郎の「黒手組の助六」の二本立てである。
「木挽町のあだ討ち」は二幕仕立て。第一幕は西国大名の家臣伊納清左衛門(高麗蔵)の屋敷。清左衛門が下男作兵衛(中車)になにか言い付けたが聞かないので、刀を抜いて斬りかかる。家人が止めるのも聞かずついには自分の喉を裂いて死ぬ。誰が見ても自殺であるが、その場を逃げ出した作兵衛を敵として一子菊之助(染五郎)は作兵衛を追って母(芝のぶ)の知り合い歌舞伎の狂言作者篠田金治(幸四郎)を頼って江戸へ出る。第一幕は作兵衛を発見した菊之助が、幼い頃から馴染んだ作兵衛を斬り兼ね、作兵衛も作兵衛で若旦那に進んで切られ様として互いに抱き合うところまで。
ここに問題がある。作兵衛と菊之助の関係はあり得るだろうが、清左衛門の死は、菊之助はじめ多くの目撃者がいる。しかもその場には藩の目付が駆け付けている。調べればすぐ真相は明らかだろう。そうなれば敵討ち御免の許可は下りず、許可が下りなければ敵討ちは成立しない。成立しなければ菊之助の行為はただの殺人になり、その行為はただの犯罪である。それでは作品が成り立たないだろう。
第二幕になる。二幕第一場は菊之助が居候をしている森田座の小道具師久蔵(彌十郎)と女房与根(雀右衛門)の家である。久蔵夫婦には生きていれば丁度菊之助と同年輩の息子がいたが病死してしまった。その時久蔵は市川団蔵が「寺子屋」の松王丸を勤めるについて松王丸の子供小太郎の死首の小道具を頼まれた。久蔵は亡き息子を思いつつ心を籠めて首を作った。その時のことを想えば菊之助に敵討ちなどという危険なことはやめて武士を捨ててこの世界に生きて欲しいという。この小太郎の首を間にした三人の芝居がよく書けている。彌十郎と雀右衛門二人の巧さもあって、この作品第一のすぐれたシーンである。ただ染五郎の菊之助が二人の異見を棒立ちで聞いているのは曲がないが、とにかく脚本・演出ともに纏まった一場である。
次の場は森田座の舞台裏。菊之助をめぐって久蔵はじめ敵討ちを止めてこの世界で生きるように頼む者たちが、なんとか菊之助を説得しようとする。しかし菊之助は一度立てた志を捨てない。武士として生きようとする。この敵討ちの反対派と賛成派、両派の対立になる。この場も前場に次いでよく書けている。幸四郎の篠田金治。彌十郎の久蔵、錦吾の鶴屋南北、猿弥の木戸芸者、その他一応それらしい。
しかし問題はこの両派の決着の付け方で、次の森田座の表の場面で敵討ちが行われる。作兵衛は殺され、菊之助はその首を上げて目出度く本国へ向けて出発する。しかしそれを見送る人々のなかに頬被りした作兵衛の姿がある。あの首は久蔵苦心の小道具だったというわけである。
しかしこのどんでん返しは小説ならばとにかく、芝居になればよほど巧くやらなければ説得力を持たない。現に私は見ていて理屈では分かってもスッキリ納得出来なかった。是非もない。
染五郎の菊之助は、小説の菊之助の爽やかさがない。原作の得体の知れない少年の、風の様な印象は出なかった。
次の「黒手組の助六」は、幸四郎の権九郎が野球の大谷翔平の当て込みの大車輪にもかかわらずそのニンのせいで滑稽味が薄い。二役の助六はよかろうと期待して行ったが、意外に地味で暗く派手さが乏しい。この人のニンは「黒手組」よりも十八番の助六の華やかさの方が合っているのかも知れない。御承知の通りこの助六は幕末の名優四代目小団次の地味で、ハラで芝居を受けるのが巧い人に黙阿弥がはめて書いた役。幸四郎はどちらかというとその芸風に合っていない。鳥居新左衛門の折檻、紀伊国屋文左衛門の異見をジッと聞いている間のウケの芝居が十分でない。こういうところが黙阿弥が小団次の体にはめて書いたところなのである。そこが幸四郎の優しさ、派手なニンと合わずに舞台が暗く地味で平板になってしまった。
このなかでは芝翫の鳥居新左衛門がニンといい芝居といい一際目立っていい。
白鸚の紀伊国屋文左衛門は口跡がいいが、引手茶屋の座敷で座った姿が不自然で気の毒。魁春の揚巻、萬次郎の遣り手、高麗蔵の三浦屋女房、友右衛門の俳諧師東栄、由次郎の白酒売り新兵衛、廣太郎の朝顔仙平。
米吉の白玉はキレイで冷たさもいいが、橋之助の牛若伝次は眉間に皺を寄せて、とても清元の浄瑠璃のなかの人間には見えない。以上芝翫の鳥居新左衛門を除いては不発である。
『渡辺保の歌舞伎劇評』