新菊五郎誕生
五月の歌舞伎座は、菊之助改め八代目尾上菊五郎、丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露興行である。
新菊五郎は、昼の部で「勧進帳」の富樫、「三人道成寺」、夜の部で「口上」と「弁天小僧」と大詰極楽寺大屋根の立腹の後、父七代目菊五郎の青砥藤綱の家臣の四役。新菊之助は昼の「三人道成寺」、夜の部「口上」と稲瀬川勢揃いの弁天小僧の三役で、親子二人の襲名に歌舞伎座は割れ返っている。菊五郎も菊之助も各役中一番の出来は「三人道成寺」であった。
順に書いて行こう。
昼の部の第一は義太夫の「式三番叟」。松竹梅をデザインした山中隆成の美術で、まず米吉の附千歳が面箱を持って、続いて又五郎の翁、雀右衛門の千歳、松也の三番叟が出る。又五郎の翁が舞台を締め、雀右衛門の千歳が米吉の附千歳との連れ舞にフッと上手を見るところで、分厚く濃厚な色気を見せて堪能させた。この幕第一の出来である。
翁、千歳、附千歳の三人が入って一人残った松也の三番叟が花道七三へ行ったところで、本舞台の大ゼリに歌昇、尾上右近、萬太郎、種之助四人の色とりどりの素襖の三番叟がせり上がって「五人三番叟」になる。もともと文楽のために作曲されたという「三番叟」。人形に合わせた曲を人間が踊るのだから違和感があって、人形ほど面白くない。そこへ更に五人という設定に無理があって、本来三番叟にある狂熱が少しも出なかった。わずかに歌昇の三番叟が笑みを浮かべた独特な表情に三番叟らしい面影が目に付くばかり。竹本は葵太夫、長一郎ほか。
次が團十郎の弁慶、新菊五郎の富樫、梅玉の義経という顔合わせの「勧進帳」。
團十郎の弁慶は、前半よく考えていて長足の進歩。目玉がよく効く弁慶である。花道の出から本舞台へ来ての富樫とのやり取りがいい。ことに「その討ったる首は」と番卒に突っ込む鋭い意気込み、一転して「いでいで最後の勤めをなさん」といいながらそれが計略であることをそれとなく観客に伝えるハラの深さ、大いに納得した。しかし勧進帳読み上げから続く山伏問答は、余裕があり過ぎてかえって説明的になった。ここは菊五郎の富樫が丁寧過ぎることもあって、緊迫感が薄くかつ陶酔感にも欠けている。これから呼び止め、打擲、詰め寄りと見せ場が続くが、ここは一気呵成で変な思い入れがないのもよく、カドカドのきまりの目の使い方もいい。まず前半は無事に終わった。
後半になって、長「判官御手を取り給い」は、舞台の中央に進み過ぎて絵面が崩れ、長「鎧に添いし袖枕」から石投げの見得ときまりの唸り声が耳につく。前半の上出来に対して後半は平凡。長「人目の関」は長唄の聞かせ所であるが、弁慶の人間の苦労、性格の滲むところ。それだけの蓄積がなければ、難しいのだろう。延年の舞から引込みまで。飛び六法は手をヒラヒラさせたりしなくて、宙を飛ぶ勢いがいい。
菊五郎の富樫は、最初の名乗りのせりふ廻しが、思いの外深い声が出ていいが、弁慶とのやり取りはすでに触れた通り、團十郎との噛み合いが思ったほどではない。技術の問題ではなくこの人のニンの問題なのだろう。六代目菊五郎、梅幸、七代目菊五郎と音羽屋の父祖四代、富樫よりも義経のニンなのである。
その義経は、梅玉が切って嵌めたよさ。その品格といい、おっとりした柔らか味といい、この幕第一の出来。引込みは軽く笠に手を掛ける成駒屋型であった。
四天王は、松也、右近に鷹之資、常陸坊が男女蔵。番卒は新蔵、新十郎、菊次。後見は右團次。長唄は日吉小間蔵、杵屋勝松ほか。
次が「勧進帳」と「道成寺」と歌舞伎十八番随一の名曲と日本舞踊第一の大曲に挟まれた「三人吉三」。フルコースの御馳走の間のお茶漬け、一服の清涼剤でホッとする。
時蔵のお嬢吉三は、女形だから当然故人梅幸風かと思ったが、案に相違してキッパリと立役風で爽やかな出来。ついこの間見た右近の立役に徹したスッキリしたお嬢吉三と好一対の出来栄えである。
彦三郎のお坊吉三は、せりふがキッチリとして正確である反面、少し硬いがこれもキッパリしている。ことに和尚吉三のせりふを聞いて思わずこの人を兄貴にしようという思い入れが効いている。
錦之助の和尚吉三は、この二人の芝居を受けてさすがに一日の長。世話物らしい練れた味を見せて、ここに生まれた三人の兄弟の運命的な出会い、白梅の薫る大川端の一節を描き出して、芝居としては今月この一幕が一番の出来である。
莟玉のおとせ、吉三郎の金貸し、又之助の刀の砥ぎ師。
昼の部の最後が「三人道成寺」。
かつて玉三郎と新菊五郎の二人で、当時菊之助だった菊五郎の白拍子花子に玉三郎の白拍子の生霊とでもいうものが憑りつくという「二人道成寺」のユニークかつ卓抜な新版を作った菊五郎が、今度は息子の新菊之助を相手にさながら母娘の「道成寺」を作った。
道行は菊五郎が花道、菊之助がスッポンからせり上がる。玉三郎と菊五郎の「二人道成寺」の時は玉三郎がせり上がって菊之助に寄り添う様になるのが、生霊が憑りつく如く絶妙であったが、今度は菊之助が只せり上がるだけで意味がなく、ショウ仕立てになった。菊之助が手取り足取り母の後を追う娘の如く、これはこれで菊之助の好演で客席は大請けである。菊之助は道行が終わるとせり下がって、一人本舞台へ進んだ菊五郎が問答から烏帽子を受け取っていつもの通り。坊主たちのツナギがあって紅白の段幕が上がると玉三郎を加えて三人揃っての鐘づくし。ここではじめて登場する玉三郎の白拍子が三人のなかで一番キレイで若々しく見えたのには一驚した。
長「いわず語らず」の手踊りは、菊之助をシンにして菊五郎と玉三郎が出たり入ったして毬唄に続く。ここも一貫した構図がなく、作品としては前の「二人道成寺」の様な面白味がない。花笠は菊之助一人が踊り抜く。まだ少年なのに大健闘である。しかしこの少年は海のものとも山のものとも分からず、女形になるのかどうかも分からない覚束なさが付き纏う。
クドキは御承知の通り三段に分かれる。第一段の「恋の手習」から第二段までを新菊五郎が一人で踊る。ここがこの襲名の白眉、新菊五郎の各役中第一の見ものである。思い掛けなくも祖父梅幸に生き写し、ぼってりと豊満で艶やかな色気で、この人の本分が女形にあることを今更ながら痛切に感じさせた出来栄えである。三段目の長「ふっつり悋気」から玉三郎が絡んで、ここは男と女の絡みを女同士で見せる不思議な味わい。このクドキ前後三段がこの興行の見どころであった。
山尽くしは、菊五郎と菊之助二人で踊って、次の長「ただ頼め」の手踊りは玉三郎一人で踊る。ここらも唐突で散文的である。玉三郎が引き抜いて鞨鼓を持ったところで上下から菊五郎、菊之助が出て三人になり、ドロドロで菊之助、菊五郎、玉三郎の順に鐘へ上って鐘の上は鈴なりで幕。
お迎え坊主は友右衛門、萬次郎、権十郎、門之助ほか。長唄は巳三郎、巳太郎ほか。竹本は愛太夫、淳一郎ほか。
夜の部の第一は松緑初役の「五斗三番叟」。
ニンはぴったりだし、リアルな松緑の誠実朴訥さといい、とぼけた味わいといい、これ程の適役はないが、その上に体の動きが鮮やかでキッパリしていて目が覚める。体の動きは、見ていて本当に倒れるのではないか、危ないと思う程。何度も見た狂言なのに思わず息を呑む瞬間も一二に止まらなかった。それ程際どいところまで体を酷使しての力演であった。しかしその力演にもかかわらず如何せん後半の酔態の場面の洒落、遊びが現代の観客には通じ難い。もっと演出を工夫し、整理すべきだろう。再演に期待したい。
萬壽の義経、権十郎の泉三郎。坂東亀蔵と種之助の錦戸伊達兄弟は役違い。もっと老練のベテランが突っ込まないと五斗兵衛が酔えないだろう。左近の亀井は色若衆の色気が足りない。
次が「口上」。目覚ましかったのは、口火を切った七代目菊五郎の晴れやかな、それこそ五月晴れともいうべき明晰な口跡、口捌き、零れる愛嬌、元気さを見てようやく安堵。はなやかな襲名の祭事に触れた気がした。
菊五郎に続いて松緑、團十郎、梅玉、下手へ来て玉三郎、親戚の長老楽善と進んで新菊五郎と菊之助の口上。人数を絞って簡潔な口上である。
さて最後がいよいよ「弁天小僧」。新菊五郎の弁天小僧は、浜松屋の前半娘の間が本役で、なんでもない様でいて味わい深い。ただ一つ、半襟のすり替えは番頭たちには分らない様に、観客にはそれと分かる様にする呼吸が今一つはっきりしないので、芝居が薄味になる。それに居どころが舞台の真中過ぎる。これでは真中を開ける絵面の約束が崩れる。
しかしさらに問題なのは、男と見顕されて化粧が変わるところである。向き直ると目の縁に化粧した結果、妖気漂う具合になった。私は瞬間的に七代目菊五郎の襲名の時の弁天小僧を思い出した。七代目には不良少年の趣があって、どこか爽やかでスッキリしていた。ご存知の通り弁天小僧の初演は五代目菊五郎で、その時五代目は十九歳だったという。その年配もかくやと思わせたのである。それに対して新菊五郎は怪し気な雰囲気を強調し過ぎる。
もっともこれは松也の南郷力丸とのバランスによるのかも知れない。初演の五代目の弁天に対して、南郷は大先輩の四代目芝翫であった。黙阿弥はそれを計算して南郷力丸を弁天の「兄貴分」に書いている。この浜松屋の事件も主犯は南郷力丸で、弁天は事件の道具——人の目を誤魔化す花で、主犯ではなく従犯なのである。それがこれでは弁天が主犯、南郷が手下に見える。そうすると弁天が老けて見えてしまうのである。
歌六の浜松屋幸兵衛がこの場第一の出来。團十郎の日本駄右衛門も貫目十分。松緑が鳶頭、萬太郎の浜松屋倅宗之助、片岡亀蔵の狼の悪次郎。橘太郎の番頭。
次が勢揃いだが、今度は新菊之助の弁天はじめ、新之助、眞秀、亀三郎、梅枝と子供揃い。ご祝儀の一幕。観客は大喜びだが、困るのはこの一幕のために浜松屋と極楽寺への芝居の流れが中断して役の人間像が薄く見えること。菊五郎の弁天はこの場の立腹はいいが、團十郎の駄右衛門は割を食って貧相に見える。
大詰は菊五郎が青砥藤綱でその家臣に新菊五郎が出て、山門の上の團十郎と三人引張で幕になった。
『渡辺保の歌舞伎劇評』